21世紀に入り長年の「コピー兵器」「人海戦術」というイメージを脱しつつある中国軍ですが、この「長年」というのは比喩でもなんでもなく、実に長い年月をかけ歩みを進めてきました。大陸国家の顔たる戦車も、またしかりです。
国家の工業力を示す指標たる戦車 中国の場合は?
戦車はその国の工業力を示すひとつの指標といわれます。速く走れて、主砲は大きく、装甲は厚くするのが理想ですが、この走・攻・守の三要素のバランスを取るのが非常に難しいのです。速く走るには軽くなくてはいけません。しかし主砲を大きくし、装甲を厚くすれば重くなります。機動力を上げようとより強力なエンジンを積み込めば、さらに重くなって速くはならないといった具合です。
西側の第3世代戦車同等の性能を持つとされる99式戦車。コスト高から生産数はまだ限られている(画像:Max Smith、Public domain、via Wikimedia Commons)。
戦車を作るには走・攻・守の三要素を担う工業製品を作る能力プラス、それらを使える戦車にまとめ上げるための総合企画力、システム工学力が必要で、工業の総力を結集する必要があり、よって指標たりうるというわけです。
これを踏まえつつ世界中を見渡してみると、2021年現在でも戦車を独自開発し純国産している国はアメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、スウェーデン、日本、スイス、イスラエルという、わずかな国に限られています。戦車を発明したイギリスは製造ラインを閉鎖してしまいました。歴史的に工業化が遅れていた印象のある日本ですが、戦車純国産の歴史は1927(昭和2)年2月に竣工した試製一号戦車に始まり、現在の10式戦車まで90年以上の歴史と技術の蓄積があります。
一方、1949(昭和24)年に建国された中国(中華人民共和国)は、戦車開発のスタートが日本より遅れました。大陸国家であり、中国人民解放軍は陸軍主体でしたが、建国された時、陸軍の装備はほとんどが外国製で、しばらく工業化は進まず、戦車部隊は鹵獲した旧日本陸軍の九七式中戦車を装備していました。
21世紀になり中国陸軍の戦車には、最新型の第3世代といわれる99式、そのひとつ前の第2.5世代といわれる96式などの自国製戦車が登場しています。第3世代戦車とは複合装甲、120mmクラスの主砲、パッシブ暗視装置、1000馬力以上のエンジンを備えていることとされており、最近ではこれにネットワーク、デジタル技術を加えたものを3.5世代と呼んでいます。
戦車づくり 他国へ一気に追いつくには?
中国は1950年代にソ連からT-54戦車のライセンス生産権(後の59式)を得て、戦車技術を少しずつ取得し始めます。工業基盤はまだ脆弱で自動車の生産もままならない状態でしたが、様々な工業力の集合体でもある戦車の生産は、工業化の促進も後押しします。
第3世代戦車を手掛けたのは、文化大革命の混乱が終わった1976(昭和51)年とされます。対立関係になっていたソ連のT-72戦車を仮想敵として、対抗できる戦車の開発を目指したのです。ちなみに日本の90式開発が始まったのはほぼ同時期の1977(昭和52)年で、当時、最強といわれた125mm滑腔砲を備えたソ連のT-72に対抗できる戦車を開発するのが各国技術者の課題だったのです。
中国陸軍88式戦車。射撃統制システムやエンジンなど、西側各国の技術を採用(画像:Mil.ru、CC BY 4.0〈https://bit.ly/39XF0UR〉、via Wikimedia Commons)。
いち早く新型戦車を開発するには、外国の技術を導入するのが近道です。中国技術陣は西ドイツ、イギリス、スイス、アメリカを視察し、「外国製の優秀なコンポーネントを集めれば、全体が優秀なものになる」というアプローチで、外国製品を繋ぎ合わせたWZ-1226という戦車を試作します。ところがこれは、アンバランスな「フランケンシュタイン」になってしまい使える戦車ではありませんでした。総合企画力、システム工学力が不足していたのです。
そうしたなか、技術陣は「レオパルド2派」「メルカバ派」「T-72派」に分かれて、3つのコンセプトを党中央に提案しました。なおこれら派閥名は3つの提案を具体的な戦車に例え便宜的に呼んだもので、正式名ではありません。
それら3つの案のなかで、前の2派は相変わらず各国戦車の良い所取りをしようとしていたのに対し、T-72派は「個々のコンポーネントは必ずしも優秀でなくとも、高度に統合されて、最適化して動作することで全体のパフォーマンスは向上する」という、システム工学に基づいた堅実なものでした。
ブレイクスルーのきっかけはひとりの技術者
党中央はT-72派の案を採用します。この案の主任設計者は、システム工学者であった祝楡生(しゅくにりょう)です。ひとりの技術者がキーパーソンとなるのも一党独裁国家の特徴で、技術的才能だけでなく政治的才能も必要です。それまで染みついていた「フランケンシュタイン」的発想を転換させるには、カリスマ性のあるキーマンと党の影響力が必要だったようです。
こうして祝楡生主導の下、T-72をベースとするWZ-123という試作車が1997(平成9)年に完成します。ところが党から、1999年10月1日の50周年国慶節軍事パレードにこの新型戦車を参加させるよう指示が出ます。国慶節50周年というのは国威発揚宣伝に最適の舞台で、そして党の意向は全てに優先されます。
1999年10月の国慶節パレードに登場して西側を驚かせた、中国の98式戦車。
WZ-123はまだまだ実用段階ではありませんでしたが、無理やり「98式」と制式化され、そして18両が国慶節50周年に湧く天安門広場を行進しました。冷戦の終結で戦車への関心が薄れていた時期でもあり、西側諸国は新型戦車登場に驚きますが、中身は射撃統制装置も付いていないパレードできるだけの小道具だったことが後に露見してもう一度驚きます。
この98式を使えるようにブラシュアップし、改めて完成したのが99式戦車で、ここに中国製第3世代戦車が完成を見ます。
中国戦車には、旧日本軍の鹵獲戦車から始まり、外国技術を取り入れ自国流に改造しコツコツと研究模索で成果物を蓄積して着実に進化していった経過が見られます。これは中国の国力成長過程全体に見える特徴で、21世紀に加速度がついてブレイクスルーしました。外国製コピー兵器と人海戦術という中国人民解放軍のイメージは、遠い過去の話です。
