発端は「第三次中東戦争」
「エリア88」にも登場したことから日本でも有名なイスラエル製戦闘機「クフィル」。登場から半世紀が過ぎていますが、その近代化改修型がスリランカ空軍に採用されたことから再び脚光を浴びています。この戦闘機登場の裏にはまるで映画のような秘話があります。
改修を終えた「クフィル」戦闘機(画像:スリランカ空軍)
話の発端は1967年6月5日に勃発した「第三次中東戦争」でした。イスラエルとエジプト、シリア、ヨルダンの間で戦闘が始まり、6日間で終結したことから「六日戦争」とも呼ばれています。この戦争はイスラエルの圧勝で終わり、その結果イスラエルはヨルダン川西岸、ガザ地区、ゴラン高原とシナイ半島の大半を手に入れました。
この成功の大きな要因はミステールやミラージュなどのフランス製戦闘機による活躍でした。イスラエル空軍はエジプト空軍の基地を空爆により無力化し、エジプト空軍のソ連製戦闘機を空中戦で撃墜しています。
この戦闘の前年の1966年、イスラエルはフランスにミラージュIIIの簡易型、ミラージュ5Jを30機、オプション20機を含む合計50機を追加発注していましたが、フランス政府の外交方針が転換したことでイスラエルに引き渡されることはありませんでした。当時フランスはイスラエルに大量の兵器を供給していましたが、戦闘で敗北したアラブ諸国から批判を浴びていたのです。中東からの石油供給にも影響しかねないと危惧したフランス政府はイスラエルへの武器供給を中止する決定を下します。
そこで取ったイスラエルの方針はミラージュ戦闘機の国産化でした。イスラエルは機体メーカーのダッソーとライセンス生産の契約を結びますが、エンジンメーカーのスネクマはフランスの国有企業のため、全ての技術をイスラエルに開示することを拒否しました。イスラエルは製造に必要な機体の図面は何とか揃えたものの、肝心のエンジンの一部の図面がありませんでした。
そこで目を付けたのがミラージュ戦闘機のエンジンをライセンス生産していたスイスの企業、スルザー社でした。産業スパイさながらの情報収集活動はイスラエルのお家芸ともいえます。当時、ミラージュに搭載されていたアター9Cエンジンのスイスにおける生産はすでに終了していたため、図面がスルザー社の倉庫の奥に保管されていたこともイスラエルにとっては幸運でした。
イスラエルは秘密裏にスルザー社の技術者に接近し、倉庫に保管されていた図面、その数なんと20万枚を入手することに成功します。図面は24個の箱に収められドイツに持ち込まれてイスラエル側に渡されていたことがその後の裁判で明らかになっています。
本家フランスのお膝元で堂々デビュー
こうして生産されたイスラエル製ミラージュ戦闘機が「ネシェル」でした。
最初の機体は1970年に引き渡しが開始されましたが、実戦経験豊富なイスラエル空軍は「ネシェル」のエンジン出力に不満を感じていました。ちょうどその頃、1969年からイスラエル空軍へ引き渡しが始まっていたアメリカ製のF-4E戦闘機が強力なJ79エンジンを二基も搭載していましたから、その差は歴然だったでしょう。ミラージュに搭載されているアター9Cに比べ、アメリカGE製J79エンジンの一基当たりの出力は30%も強かったのです。
そこでイスラエルは「ネシェル」のエンジンをJ79に換装して生産することを決定します。こうして登場したのが「クフィルC1」でした。アター9Cよりも太くて重いJ79エンジンを収容するため、胴体後部は変更され太くなったことに加え、胴体側面や垂直尾翼の付け根部分には冷却空気取り入れ口も新設されました。重心位置を調整するため胴体の長さも変更されています。
この「クフィルC1」をさらに改良するため空気取り入れ口の外側にカナード(先翼)を追加した機体が「クフィルC2」として登場し、これがこのシリーズの決定版になりました。
そして、この「クフィルC2」を生産していたIAI社(イスラエル・エアロスペース・インダストリーズ)は大胆な行動に打って出ます。1977年に開催された第32回パリ航空ショーに「クフィルC2」を出展し地上展示と飛行展示をやってのけたのです。
つまり、ベース機ともいえる、ミラージュ戦闘機の本家フランスのお膝元で、フランス製戦闘機の無許可改良型を堂々と披露して国際武器市場に打って出たということです。
それから約半世紀が経過しました2026年現在でも、イスラエル製戦闘機は運用されています。まだ当分の間、引き続き飛ぶことになりそうです。
