いまでは世界屈指の自動車生産国となった日本ですが、国内生産が始まった20世紀初頭は、欧米の模倣だったといいます。黎明期の日本製トラックもまたしかり。そんな100年前のトラックに会ってきました
日本初の量産トラック誕生に世界大戦が関係
2020年、日野自動車が創業110周年を迎えました。前身の「東京瓦斯工業」(現在の東京ガスとは別)が設立されたのが1910(明治43)年8月です。その歴史に触れられる、同社の21世紀センター・オートプラザ(東京都八王子市)で日本初の量産トラックといわれる「TGE-A型」を取材してきました。
日野オートプラザの正面入口に展示されている「TGE-A」型トラック(2020年8月、柘植優介撮影)。
東京瓦斯工業は、もともとガス灯の部品を製造するために生まれた会社で、その後電気器具の開発生産にも乗り出したことで、創業から3年後の1913(大正2)年に社名を「東京瓦斯電気工業」に改称します。翌1914(大正3)年に第1次世界大戦が勃発すると、旧日本陸軍やロシアなどから砲弾の信管を大量に受注し、会社は大きく発展しました。
他方、旧日本陸軍は激戦の続くヨーロッパ戦線で、諸国が馬に代わって自動車を大量に使用していることに着目、トラックの有用性を認識するようになります。そこで旧日本陸軍は、国産トラックの製造や使用に補助金を与え、国内自動車産業の育成を図るとともに、戦争が勃発した際にはそれらを徴用することで、戦時の大量需要を賄おうと考え、そのための法律を制定しようと画策しました。
この軍部の動きを察知し、なおかつ自動車産業の将来性に目を付けた東京瓦斯電気工業が1917(大正6)年に作ったのが、TGE-A型トラックなのです。
頭の「TGE」とは、社名の英語表記である「Tokyo Gas & Electric(Industry Co.Ltd)」の頭文字をとったものです。前出の補助金拠出のための法律が1918(大正7)年に「軍用自動車補助法」として制定され、同年から1921(大正10)年までの3年間で20台程度生産されたといいます。
レプリカというよりもリビルト 100年前の部品を使用して再生
TGE-A型トラックは、東京瓦斯電気工業の独自設計とはいいつつも、多くの部分でアメリカのリパブリック「モデル10」を参考にしていました。このことが、日野自動車21世紀センター・オートプラザにTGE-A型を展示する際に大きな後押しになったようです。
というのも、製造当時のTGE-A型トラックは日本に現存しておらず、日野自動車21世紀センター・オートプラザに展示されているのは、実はレプリカです。しかし、参考にしたリパブリック「モデル10」がアメリカのシカゴに2台残っていたことで、うち1台を日野自動車が購入、これを流用することでTGE-A型トラックを再現することに成功したのです。
「TGE-A」型トラックの車体下部(2020年8月、柘植優介撮影)。
このような経緯のため、TGE-A型トラックはレプリカといいつつも、シャシーや走行装置などは当時の部品であり、きわめて再現度の高いものとなっています。
そのため、「再現」ではあるものの、経済産業省の「近代化産業遺産」にも指定されています。1996(平成8)年のリビルト当初は、日野自動車の敷地内や八王子市のイベントなどで実走したそうです。
そして来年、2021年は日野自動車創業111周年とゾロ目の年であり、かつTGE-A型トラックが復元されて25年、四半世紀の年でもあります。日本初の国産トラックがどのようなものだったのか、改めて振り返るにはちょうどよい時期といえるのではないでしょうか。
※一部修正しました(9月16日7時29分)。