総合大学に見える大学名
東京都内には数多くの大学がありますが、医系学部のみで構成されているのは昭和大学(品川区旗の台)だけです。大学名を見ると一見、総合大学的ですが、医療人材育成に注力している歴史ある教育機関です。
昭和大学の歴史は1928(昭和3)年に設立された昭和医学専門学校までさかのぼります。当時あえて専門学校にしたのも、創立者の医学博士・上條秀介の考えによるところが大きく、大学で見られる派閥争いや先輩後輩の上下関係に邪魔されず、「現場重視」「しっかりと患者を診る」ことに重きを置いたためです。
上條自身が東京帝国大学医学部出身ということを考えると、自分の経験を通して人々に本当に役に立つ医学、医療のあり方を考えて学校設立へと情熱を傾けたことは想像に難くありません。
大学の建学の精神「至誠一貫(しせいいっかん)」を昭和大学では「常に相手の立場にたって、まごころを尽くす」をモットーにしています(大学ウェブサイトより)。
戦後の1946(昭和21)年に昭和医科大学(予科3年を含む7年制)となり、1952年に6年制の医科大学として新たな歴史をスタートしました。ちなみに現在の昭和大学に改称したのは、東京オリンピックが開催された1964年のことです。
また開校の1928年から付属医院を開くなど、創立当初より「実践重視」「現場主義」の方針を掲げています。現在は東京都と神奈川県に合わせて、
・昭和大学病院(品川区旗の台)
・昭和大学病院付属東病院(品川区西中延)
・昭和大学付属烏山病院(世田谷区北烏山)
・昭和大学江東豊洲病院(江東区豊洲)
・昭和大学歯科病院(大田区北千束)
・昭和大学藤が丘病院(横浜市青葉区藤が丘)
・昭和大学藤が丘リハビリテーション病院(横浜市青葉区藤が丘)
・昭和大学横浜市北部病院(横浜市都筑区茅ヶ崎中央)
の計八つの付属病院を運営しています。
富士吉田キャンパスの寮で過ごす1年生
医学の専門学校として始まった昭和大学ですが、戦後は薬学部や歯学部を新設。医系総合大学として、
●医学部
・医学科
●歯学部
・歯学科
●薬学部
・薬学科
●保健医療学部
・看護学科
・理学療法学科
・作業療法学科
の4学部6学科、3144人が在籍しています(2020年度)。
昭和大学の取り組みで特色があるのは、自然豊かな富士吉田キャンパス(山梨県富士吉田市)で全学部の1年次が寮生活を送ることです。
2020年度は新型コロナウイルスの感染拡大のため、入寮式は8月末に延期されましたが、例年は入学とともに学部の垣根を越え、同部屋での寮生活を送ります。
共同生活を送りながら勉学に励むことは学部の枠に捉われずに親睦を深められ、将来的にコミュニケーション能力を伸ばすメリットもあります。
1年間を通した全寮制の生活を終えると、2年次から各学部が三つのキャンパスに分かれます。
大学本部のある旗の台キャンパスでは歯学部の2年次と4年次の前半、そして医学部と薬学部は2年次から6年次が学びます。
昭和大学歯科病院と同じ敷地にある洗足キャンパス(大田区北千束)では、歯学部の4年次後半から6年次の学生が臨床実習を兼ねて勉学に励んでいます。
また、保健医療学部の学生は2年次から4年次を横浜キャンパスで学業にいそしむなど、医療の現場で活躍するための知識や経験を積んでいます。
90年近く続く白馬診療所の運営
本州の中部地方にある日本アルプスを中心に、医学部が運営している夏山診療所(登山者や観光客に簡単な治療や救護措置を行う診療所)があります。昭和大学では1932年、飛騨山脈北部の白馬岳に白馬診療所(長野県白馬村)を開設。数多くある診療所の中でも古参に入ります。
平地と違い、気圧や気象変化も激しく変わり体調不良が起きやすい山岳地帯。緊急時の応急処置を行うために設置された白馬診療所は医師はもちろんのこと、昭和大学白馬診療部に属する学生や卒業生有志が運営しています。
このように夏山には医師をサポートする学生たちが集まるため、低学年次から緊迫した医療の現場に身を置くことができます。
このほかにも南アルプスの赤石山脈北部に位置する北岳にも夏季期間に診療所を設け、登山客を陰ながらサポートしています。複数の夏山診療所を設けている私立大学は昭和大学だけです。
新型コロナウイルスの感染拡大により、今まで以上に医療現場に携わる人たちの活躍がクローズアップされています。
老若男女問わず人々が健康でいられるのは、こうした専門職の人々の存在があってこそ。昭和大学が掲げる至誠一貫の心「常に相手の立場にたって、まごころを尽くす」はコロナ禍が続く今、身を粉にして働く医療従事者そのものと言えるでしょう。