シュールで知性的
近年、あらゆるタイプのお笑い芸人がテレビに出演し、バラエティー番組を中心に業界を盛り上げています。
M-1グランプリなどの賞レースにおける参加者数は毎年右肩上がりで、お笑い芸人の数は増え続けています。売れるためにギャグを開発したり、大声でツッコミをしたりなど、生き残りをかけておのおのが芸を磨いています。
そんなお笑い芸人のなかには、最初から芸能界を目指していたわけではなく、サラリーマンを辞めてお笑いの世界に飛び込んだ人も。ただでさえ売れることが難しい芸能界で、脱サラしてから活躍するためには、人と違う角度からシュールで知性的な笑いを生み出す能力が必要です。
シュールで知性的な笑いを生み出すスタイルで、脱サラして成功したお笑い芸人といえば、お笑いコンビ・おぎやはぎの小木博明さんではないでしょうか。
2020年には映画『前田建設ファンタジー営業部』(バンダイナムコアーツ、東京テアトル)で、熱血な上司の役を務めました。同映画はファンタジー営業部の社員がアニメ「マジンガーZ」の地下格納庫の建設に挑むというストーリーで、小木さんのハイテンションな演技が役にハマっており、高く評価されました。
女性向けサイトの「モデルプレス」によると、1971(昭和46)年生まれの小木博明さんは板橋区出身。同区は東京23区の北西部に位置しており、面積は32.22平方キロメートルで、人口は約56万人(2021年7月時点)。その地形は、武蔵野台地と荒川の沖積低地で形成されています。ニリンソウの花が区の花として制定されています。
なぜ脱サラして成功できたのか
そんな板橋区出身の小木博明さんですが、俳優やコメンテーターとしての仕事もやりながら、バラエティー番組ではMCからひな壇までこなし、相手が先輩でも後輩でも毒づいて場を盛り上げる能力は高い評価を受けています。
コンビとしてはM-1グランプリの決勝に2年連続で出場し、個人としてはIPPONグランプリで優勝するなど、お笑い芸人としての地位を確立しています。
今回はそんな一流お笑い芸人小木博明さんが、なぜ脱サラして成功できたのか、お笑い芸人としてのキャリアを振り返りながら、理由を探っていきます。
軽い気持ちでお笑いを始め、数年でブレーク
サラリーマンだった当時、相方の矢作兼さんが極楽とんぼの加藤浩次さんとバーで知り合い、話をしているうちに自分もお笑いでいけると思い、小木さんを誘いました。
小木さんは特に驚かず、軽い気持ちでお笑い芸人としての活動を始めました。養成所には通わず、デビューして数年でテレビに出られるようになりました。
『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)や『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で世間に認知されるようになり、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の“笑わず嫌い王決定戦”という企画で高く評価されたことでブレークし、一躍人気芸人の仲間入りを果たしました。
このエピソードは、モード誌「Numero TOKYO」のインタビューで披露しています。
デビューして数年でブレークを果たし、順調にお笑い芸人としてのキャリアを積んでいた小木さんは、2014年に昼の情報バラエティー番組『バイキングMORE』(フジテレビ系)の水曜MCに抜てきされました。
総合MCの坂上忍さんとうまく連携しながら番組を進め、あらゆるニュースに対して歯に衣(きぬ)着せぬコメントをする仕事ぶりは、業界内で高く評価されています。
マイペースでゆるい芸風
MCとしても活躍する小木さんですが、デビュー当初からマイペースでゆるい芸風を貫いています。芸歴は25年を超え、10本以上のレギュラー番組に出演していますが、常に力を抜いて活動しています。
ウェブメディア「BuzzFeed」のインタビューによると、
・苦労はしないに越したことはない
・サボらない人にろくな人はいない
・適度にサボって辛かったら逃げればいい
という考えで仕事に取り組んでおり、多くの仕事の依頼が来ても、体力を考えて1日に1、2本しか引き受けないといいます。
従来のお笑い芸人といえば、休みなく働いて、できるだけ多くのテレビ番組に出演し、有名になってお金をたくさん稼ぐことを目標にしている人が大半でした。お笑い芸人は天下を取るために毎日ネタを考え、ギラついているというイメージが定着していました。
しかし、小木さんと相方の矢作さんの活躍によって、そういった“ギラついたお笑い芸人像”のイメージが崩れたのは間違いありません。
軽い気持ちでお笑いの世界に飛び込み、適度にサボりながら仕事をする。シュールな芸風で、力が抜けたスタイルの笑いは、今までにない新鮮なものでした。声が小さく、あまり前にも出ない。そんなお笑い芸人はいないと面白がられ、明石家さんまさんや松本人志さんといった大御所に評価されました。
脱サラして成功できた理由
今の日本社会では長時間労働が問題になっており、働きすぎて心身ともに壊してしまう人もいます。だからこそ、仕事は適度にサボって、辛かったら逃げるという小木さんの考えが時代に合っているのです。
お笑い芸人としての能力はさることながら、マイペースでゆるい芸風も、脱サラして成功できた理由のひとつなのかもしれません。
前述のように、板橋区の花は白くかれんなニリンソウ。花言葉は「友情」「協力」です。相方の矢作さんとの「友情」をさらに深め、芸風のブラッシュアップにおいて「協力」し、マイペースでゆるいお笑い芸人道をさらに極めてもらいたいと願っています。