世界が注目した世紀の失敗戦車、クリスティー式戦車
1920年代後半、アメリカで時代を変える戦車が開発されました。当時、戦車は黎明期にあり、時速20km出れば「快速」といわれた時代に、時速60kmで走ることができる戦車が登場したのです。この戦車の名前は「クリスティー式戦車」。しかし、世界が注目したその戦車が戦場で活躍することはほとんどありませんでした。なぜでしょうか。
1931年に撮影されたクリスティー式戦車。タイヤとしても使用できる大きな転輪が特徴(画像:パブリックドメイン)
クリスティー式戦車を開発したのは、アメリカのエンジニアであるジョン・ウォルター・クリスティーという人物です。彼は、鉄工所に勤務する傍ら、蒸気船の開発や潜水艦の研究にも携わりました。その後フロント・ドライブ・モーター社という会社を立ち上げたクリスティーは、第一次世界大戦中に、戦車や高射砲の研究・開発を進め、1920年代半ばに、クリスティー式戦車を生み出します。
戦車開発において彼が何よりも重視したことは、高速性であったといいます。彼の考える戦車用兵は「圧倒的な機動力で敵の防衛線を突破し、後方の補給網や司令部を麻痺させる機動戦」でした。当時の戦車といえば、時速10km前後が主流で、塹壕を越えることを目的とした鈍足の「鉄の塊」といったものです。
のちにドイツ軍の電撃戦を主導するグデーリアンが、著書『戦車に注目せよ!』で高速機動力の重要性を主張したのが1930年代ですから、クリスティーには、かなり先見性があったといえるでしょう。
タイヤ走行では驚きの時速111kmを発揮
クリスティーは、戦車の高速性を実現するため、2つの独自性を取り入れました。ひとつはエンジンです。航空機用に開発された水冷式のリバティーエンジンを戦車用に再開発し、軍用機なみのパワーを戦車に搭載することに成功しました。
ノモンハンの戦いに投入されたソ連のBT戦車。日本軍はこのノモンハンの戦いでBT戦車を鹵獲し、クリスティー式戦車について研究したといわれる(画像:パブリックドメイン)
そしてもう一つの工夫が、装軌式から装輪式に変更できる足回りです。悪路では装軌式(履帯)で走行し、整地では装輪式(タイヤ)に替え、スピードを出すことができました。大出力エンジンと履帯/タイヤを切り替え可能な足回りが、装軌時に時速68km、タイヤ走行時になんと時速111kmという圧倒的な高速性を発揮することができたのです。
完成したクリスティー式戦車には、アメリカ陸軍をはじめ、ソ連、イギリス、日本などが興味を示しました。しかし、クリスティーは、研究者や発明家にありがちな気まぐれな性格だったために、なかなか上手く売り込むことができなかったといわれています。
アメリカ陸軍はまずは数両を導入、ソ連も2両を購入します。イギリスも購入しようとしましたが、技術の海外流出を恐れたアメリカ政府により阻止され、農業用トラクターと申請したり、戦車を部品レベルまで解体するなどして、ようやく入手することができました。
ソ連は入手したクリスティー戦車を研究し、国産のM-5エンジンを搭載して履帯/タイヤ切り替え式のBT戦車シリーズを開発します。なお、BTとはロシア語で「素早い戦車」を意味する言葉の頭文字です。BT戦車は、のちの傑作戦車T-34の開発にも繋がっていきます。クリスティーは後年、「技術をソ連に売り込んだことを後悔している」と周囲に漏らしていたそうです。
戦場で履帯からタイヤへの換装は無理
しかし、クリスティー式戦車そのものは、これ以上の成功を見ることはありませんでした。高い機動性を持っているのに「なぜ?」と思われるかもしれません。しかし、戦場では履帯からタイヤへ、またはその逆への切り替えは非常に手間がかかるものでした。一見すると非常に便利な機能ですが、いつ敵が攻撃してくるかわからない戦場で、それを行うのはナンセンスでした。
クリスティー式サスペンションだけを導入したイギリスのコメット巡航戦車。履帯なしでの走行はできない(画像:パブリックドメイン)
しかも、その切り替えのために足回りの機構は非常に複雑で、故障も多かったといいます。実際、クリスティー式戦車の技術を応用して生まれたBT戦車は、履帯とタイヤの切り替えができるものの、それに続くT-34のシリーズではタイヤ走行はできなくなっています。技術的には優れていても、実戦を想定した場合、必要な技術ではなかったということです。
こうして、クリスティー式戦車は大きく日の目を見ることなく終わりを迎えました。しかし、その後もひとつだけ、各国で注目されたものがありました。それがサスペンションです。「クリスティー式サスペンション」と呼ばれたその技術は、大型の転輪をタイヤとして使用するために生み出された、二重構造コイルスプリングのサスペンションです。悪路機動性に優れているとされ、イギリス軍などで採用されました。
クリスティーの考えた「圧倒的な機動力で敵の防衛線を突破し、後方の補給網や司令部を麻痺させる機動戦」は、第二次世界大戦でセンセーショナルな結果をもたらしました。しかし、そこに彼の技術が使用されることはなかったのです。
