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「馬の形をした猛獣」…日本の「軍馬」 試行錯誤の黎明期から現代にいたるその歩み

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近世末の欧州の戦争において、戦場を縦横無尽に駆け、敵陣への突撃で戦局を覆す騎兵はまさに花形の兵科でした。日本はそのころ江戸時代、すっぽりと運用理論が抜け落ちてしまい、近代に突入してから大きな苦労をすることになります。

近代的な騎兵の運用は明治に入ってから! 海外からの評価は…?

 有史の以前から人類のパートナーであり、乗り物でもあった馬、戦争でも馬は長いあいだ使用されてきました。むしろ、いまのように戦力の中核として使われていない時期の方が圧倒的に短いです。とはいっても有史以来の馬の歴史を解説しているときりがありませんので、ここでは、近代的な軍用馬(軍馬)が、日本ではどのような形で運用されていたのかを紹介します。

Large 200804 horse 01旧陸軍時代の観兵式にて。昭和天皇(写真右)の愛馬「白雪」はアラブ種の白馬(画像:朝日新聞社『週刊20世紀 皇室の100年』/パブリックドメイン)。

 最初に、日本に近代的な騎兵の馬として運用されるタイプの馬が入ってきたのは幕末だといわれています。江戸幕府はフランス陸軍を参考としていたため、軍事指導に当たっていたフランスからアラブ種の馬が寄贈されました。当時の幕府陸軍には騎兵隊も編成されていましたが、こうしたフランス輸入の軍馬がどの程度いたかは知られていません。贈られた馬の明確な記録としては、当時のフランス皇帝ナポレオン三世が、14代将軍徳川家茂宛に送ったアラブ馬の記録などが残る程度で、日本国内の軍馬改良に、それほど大きな影響はなかったのではと思われます。

 日本が本格的に軍馬の生産に注目するようになったのは明治に入ってからです。軍馬の種類には大きくわけて、将校や騎兵が使う「乗馬」、大砲や弾薬を引っ張る「ばん馬」、食料や荷物を背中につけて輸送する「駄馬」があります。特に乗馬に関しては江戸時代に入って馬の改良がストップしていたこともあり、騎兵は自他共に、他国に比べかなり貧弱という評価でした。

 また、軍馬に関しての理解不足も質の低下に大きく影響していました。明治初期に日本へ来た欧州の駐在武官は「日本人は馬の形をした猛獣に乗っている」と評しました。これは牡馬を去勢しないで使っていたためです。他国では気性が大人しくなるので去勢した馬、「せん馬」を長く利用してきましたが、日本にはそもそも軍用馬を去勢する習慣がなかったのです。

軍馬の管理制度ができたのは現場から不満が続出した日露戦争中

 軍馬の管理を徹底し、優秀な血統は種牡馬として残し、軍馬として使うせん馬とは明確にわける「馬匹去勢法」が成立したのは、明治も末期の1901(明治34)年でした。その前年の1900(明治33)年に起こった義和団事件では、欧州各国の部隊と初めて共同作戦を行った際、日本軍歩兵の統率は大きく評価されていましたが、騎兵に関しては、「小さい馬が多い」「隊列が乱れるときがある」「馬の気性が荒く輸送に時間がかかる」など、散々な評価を受けました。

 そういった厳しい状況にも関わらず、1904(明治37)年2月には日露戦争が勃発し、当時、世界最高水準だといわれたロシア帝国のコサック騎兵と日本は戦わなければならなくなります。

 この戦争でコサック騎兵と互角以上の戦いをしたのが、某小説でも有名な秋山好古少将が率いる騎兵第1旅団を主体とした秋山支隊ですが、機動力や突破力といった、騎兵本来の能力としては圧倒的にコサック騎兵の方が上でした。そこで秋山支隊は、騎兵部隊に歩兵、砲兵、工兵などを随伴させ、当時まだ兵器としては実力未知数だった機関銃を運用することでコサック騎兵を撃退しました。

 とはいっても秋山支隊のように戦果をあげる部隊ばかりではなく、日露戦争中、日本陸軍では軍馬の貧弱さが露見するような報告が次々とあがり、ついには明治天皇まで「馬匹改良のために一局を設けてはどうか」と勅諚をくだすほどに。

Large 200804 horse 02都内、九段坂公園にある大山 巌像は、近代的軍馬の騎乗像。大山 巌は初代陸軍大臣であり、日露戦争では陸軍司令官を務めた(斎藤雅道撮影)。

 結局、日露戦争中の1904(明治37)年4月7日に「臨時馬政調委員会」が設立され、日露戦争後から日本は軍馬の改良を本格的に進めていくことになります。このときから乗馬用のアラブ種やばん馬のペリシュロン種などが海外から大量に輸入され、軍用のみならず、農耕用の馬でも、日本の在来種の数は少なくなっていき、大正時代の後期には馬の大きさも海外と大差のないものになります。

約100万頭が太平洋戦争などに投入されるが…

 第1次世界大戦を境に、騎兵の有効性に関しては、銃火器の発展や戦車の登場と共に薄れていきますが、あらゆるものを自動車化、機械化している現在とは違い、まだ軍馬の有効性は残っていました。

 日本では、日中戦争や太平洋戦争(大東亜戦争)で、約100万頭の馬が各地に送られたといわれています。当時、物資輸送や伝令など、戦闘に関わらない全ての任務を自動車や装甲車で行っていたのはアメリカ軍くらいで、機械化が遅れた日本軍は物資輸送、情報伝達に軍馬を駆使し、それを補っていました。

Large 200804 horse 03靖国神社(東京都千代田区)にある戦没馬慰霊像(斎藤雅道撮影)。

 ちなみに、馬の徴発令状は青色の紙で「青紙」と呼ばれ、馬が貴重な労力だった農村では、召集令状の「赤紙」で徴兵された兵隊さんと同じく、手綱を引き盛大に見送ったそうです。軍馬を用いた騎兵も、おもに中華民国軍を相手に戦った大陸の作戦では使われており、特に騎兵第4旅団は当時の日本軍に唯一残った大規模な乗馬騎兵部隊として、騎兵突撃なども行っています。

 戦場で軍馬は調達コストが人間よりも高く、そのため「天皇陛下の御分身」として大事に扱われたといわれていますが、それはあくまで“世話”の部分で、損耗率という部分では話が別でした。上述した戦争での未帰還馬は50万頭といわれています。これだけでもすごい数ですが、戦後は現地に残される馬がほとんどで、日本まで兵士と一緒に帰った馬の記録は、正式な記録がないので定かではありませんが、多くても数千頭程度といわれています。後年、日本人と共に戦い、日本兵よりも高い“戦死率”だった軍馬のために「戦没馬慰霊像」という碑が靖国神社に建立されています。

 2020年現在、自衛隊では、馬術や近代五種といったスポーツ種目の練習のために自衛隊体育学校が唯一、馬を飼育しています。兵種としての騎兵はなく、機甲科がそのかわりとなっています。欧米でも騎兵という名前は残っていても、式典用などで乗馬騎兵が残っているのみで、実働部隊はヘリコプターや装甲車を運用する部隊がほとんどです。

 軍馬ではないものの、日本の警察では警視庁騎馬隊や皇宮警察で馬が使われています。欧米では街頭警備を専門に行う騎馬警官などもいます。

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