人類にとって「なぜ働くのか?」というのは、国内外を問わず古くから重要なテーマです。多くの人たちが、人生の大半を労働に費やす現実に疑問を抱きつつも“仕事を失ったら食べていけない”と危機感を抱いていると思います。本記事では、賃金労働がベースの社会構造について考えてみたいと思います。
なぜ、私たちは働いているのか…
私たちは、「なぜ、人は働くのか?」という漠然とした疑問を抱きながら生きているように思います。2023(令和5)年11月に行われた内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると、「お金を得るために働く」と回答した人は64.5%で、最多となりました。次いで、12.8%の「生きがいをみつけるために働く」、10.8%の「社会の一員として、務めを果たすために働く」、7.2%の「自分の才能や能力を発揮するために働く」という結果でした。「無回答」は4.7%となっていました。
また、仕事をしたくないと考える若者は、年々増加傾向にあるということも分かっています。労働政策研究・研修機構の「大都市の若者の就業行動と意識の変容-『第5回 若者のワークスタイル調査』から-」における「若者の職業意識の変化」では、男女ともに「できれば仕事はしたくない」と考える人は2001年から増加しており、昨今においては半分以上が仕事をしたくないと考えているという結果が浮き彫りになりました。
これらの調査結果にも表れているように、多くの人がお金のため、換言すると自分や家族の生活のために働いています。“宝くじが当選したら仕事をやめる”、“お金があれば働かない”という声はよく聞こえてきますが、こうした声は本心であると受け取れそうです。
労働の苦労をしたくないのは“人類共通”
人間が“仕事をしたくない”と思うのは自然な感情といえそうです。哲学者のソクラテスが生きた紀元前では、自由人(=身分が高い人)は仕事を嫌っており、衣服を縫ったり、ソバを作ったりするのは自分たちの仕事ではないと考えていました。こうした仕事は奴隷に丸投げしていました。
現代では、8時間労働が一般的ですが、通勤時間や休憩時間を含めると一日の大半を仕事に充てていることになります。多くの人たちが一日の大半を仕事に充てることに不平不満を抱いていますが、過去にも労働時間を削減するべきだと考える人がいました。例えば、カール・マルクスの婿・ポール・ラファルグは「一日に3時間働き、残りの時間は人間らしい営みをするべき」と主張し、政治活動家のバーランド・ラッセルは「一日4時間働けば、常識ある人が欲求するだけの快楽を生産できる」と主張しました。
現代に生きる私たちも、仕事をしたくないと思いつつも、そうする以外に生きていく方法が分からないため働いていたり、労働基準法に基づく労働時間に不満を抱いたりしていますが、歴史を振り返ると今に始まったことではないことが考えられます。
平等な社会形成の実験も行われてきたが...結局は今の社会構造が基本に
時代を問わず、独自のコミュニティーを築き、社会の一般的な原則から離れた生活を営む人たちは世界中にいました。例えば、1800年代半ばの米国には「ブルックファーム」というユートピアコミュニティーがありました。コミュニティー維持に必要な仕事を公平に担い、全員が平等に汗を流すことを基本としていました。しかし、長くは続かず、6年ほどで崩壊。また、日本では、1900年代前半に建設された、武者小路実篤が率いた共同体「新しき村」があります。住民は畑仕事、馬の世話、建築などに従事しました。
現代社会においても、単身、もしくは家族単位で自給自足の生活を営んでいる人はいます。彼らは畑仕事や家の建築・改修、洗濯、料理、薪割りなどを日課としています。平均的な体力があり、かつ器用でなければ難しいように感じます。幸せの在り方は人さまざまです。
今も昔も、賃金労働が主流である社会に疑問を抱く人がいて、さまざまな生き方を模索しています。しかし、現在の社会構造が定着しました。多くの人たちが賃金労働を自分の意思で選ぶということは、最も負担が少ない生き方ともいえそうです。
働くことで得られるお金以外のメリットとは?
筆者も仕事に対して否定的な感情を抱きがちなタイプですが、仕事をすることで金銭以外に得られるものはいくらかあると最近思います。職場の同僚と親しい友人ほどの関係ではないにしても、気軽な雑談が楽しいこともあります。人との交流が一切なくても問題ない人もいますが、長く一人でいるとふさぎ込む人は少なくありません。また、自分で稼いだお金が少しずつ貯まっていくことにも喜びを感じます。
日本は農家の成り手不足や物価高などにより、米をはじめ国産の食品の入手が難しくなってきています。互いに労働力を提供し合うことで、国力が向上し、国内の製造率も高まり、自分や家族が安心して暮らせる社会を築けると思います。
西田梨紗