ゴジラの劇中に登場した異形の前翼機の正体は?
2026年10月30日、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で『ゴジラ-1.0』が放送されました。同作は、11月3日に公開される『ゴジラ-0.0』の前作に当たります。同作では、旧日本軍の兵器が多数登場しており、その中でも「震電」は、主人公の敷島浩一が搭乗し、ゴジラを海上へ誘導するなどして活躍しました。現実の同機は、どのようなものだったのでしょうか。
福岡県筑前町にある大刀洗平和記念館で展示されている「震電」の実物大模型(画像:大刀洗平和記念館)
同機は、旧日本海軍が開発した試作機です。海軍機とはいうものの、陸上の飛行場で運用することを前提とした「局地戦闘機」と呼ばれる機体になります。「局地」とは、限定されたエリアの中で用いるという意味の海軍用語です。来襲した敵機を日本本土などで迎え撃つことを想定して開発された戦闘機でした。
ビジュアル面で大きな特徴となっているのが、レシプロ(ピストン)エンジンのプロペラ機としては非常に珍しく、機体後部にエンジンとプロペラが搭載されている点です。このように、エンジンが後部に配置された機体は、推進式またはプッシャー式などと呼ばれます。
実は、世界で初めて飛行した飛行機であるライト兄弟の「ライトフライヤー号」も、このプッシャー式を採用していました。しかし、技術的な問題や運用面での難しさなどから、今日では見慣れた、機体前方にエンジンを搭載するトラクター式が主流となりました。
「震電」は、数少ないプッシャー式の機体の中でも、前翼(エンテ)機に分類されます。水平尾翼を廃し、主翼の前方に水平小翼を設置した飛行機です。この種の軍用機は、第二次世界大戦中、日本のみならず世界各国で研究されていました。
同機の研究開発が本格化したのは1943年からです。同年8月には、海軍航空技術廠で前翼機の模型を用いた風洞実験が実施されました。それを基に、翌1944年1月末には、実験用の小型滑空機を用いた高度約1000mからの滑空試験にも成功しています。
こうして実機の開発に一定の目途が立ったことで、同年2月には試作機の開発が決定し、主契約会社として九州飛行機が選ばれました。なお、当初、試作機の製作は内々に進められていましたが、5月には「十八試局地戦闘機」の名称で正式に発注されました。これを受け、九州飛行機は技術者を結集し、会社一丸となって製図作業に取り組みました。その結果、1944年11月には設計を終えています。
当初、「震電」は約740km/hという高速性能を生かし、高高度からの一撃離脱戦法を想定して開発されました。空気抵抗を大幅に減らし、エンジンの出力を最大限に生かすため、前翼を備えたエンテ式の機体と、エンジンを機体後部に配置する推進式の構造が採用されたのです。
しかし、戦局が悪化する日本において、同機は後にB-29迎撃用の戦闘機としても注目されることになります。高い高高度性能に加え、エンジンを機体後部に配置したことで機首部分にスペースが生まれ、30mm機銃4門という強力な武装を搭載できたためです。
戦争には投入されず約80年後にゴジラ相手に活躍
ただ、機体の開発は順調に進んだものの、搭載予定だった「ハ43」エンジンの開発を担当していた三菱重工業の名古屋工場が、1944年12月から翌1945(昭和20)年1月にかけて断続的にアメリカ軍の爆撃を受けたことで、当初の予定どおりに進まなくなり、結果として全体の開発スケジュールに遅れが生じました。
旧日本海軍が開発した局地戦闘機「震電」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)
そのようななか、1945年6月に「震電」の試作1号機が完成し、蓆田(むしろだ)飛行場(現・福岡空港)へ運ばれます。翌7月には、設計者である鶴野正敬技術大尉による滑走試験中、機首を上げ過ぎたため、機体後部のプロペラの先端が地面に接触する事故が発生しました。なお、このときプロペラを試作2号機用のものに換装するとともに、以後、プロペラが地面に接触しないよう、左右の垂直尾翼の下側に小さな車輪を取り付ける改修が行われています。
こうして機体の修復を終えた「震電」は、同年8月3日に初飛行に成功しました。続く6日と8日にも試験飛行を実施したものの、エンジンの不調が発生。そのため、予備部品を三菱重工業から取り寄せている最中に終戦を迎え、結局、「震電」が空を舞ったのは前述の3回だけとなりました。
なお、終戦後、「震電」の試作1号機はアメリカ軍に接収され、10月には調査・研究のため、船でアメリカ本土へ送られています。その後、複数のパーツに分解され、アメリカ国立航空宇宙博物館に収蔵されました。長らく保管されていましたが、現在は機首部分のみ開梱され、公開展示されています。
また、福岡県筑前町にある町立大刀洗平和記念館には、「震電」の実物大模型も展示されています。同機は、『ゴジラ-1.0』の制作に用いられた震電の実物大レプリカです。当初は同作で使用されたことが伏せられていましたが、映画の公開後にその事実が明らかになり、作品の大ヒットとともに注目を集めました。
ほかにも同館では、旧日本海軍の零式艦上戦闘機(零戦)三二型や、旧日本陸軍の九七式戦闘機乙型の実機も展示されています。それらと「震電」を見比べることで、機体の大きさや構造の違いなどを実感することができます。
