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80年前にポルシェが作った「世界一重い戦車」とは? 最新技術詰め込むも実戦投入されなかったワケ

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2023年現在、世界で最も重い戦車は、第二次大戦中に作られた「マウス」とされています。しかし同車は試作のみで実戦に投入されたことはありません。なにが原因だったのでしょうか。

ヒトラーが提案した超重戦車

 2025年現在、世界で最も重い戦車を作ったのは第二次世界大戦中のナチス・ドイツとされています。しかも提案したのは、戦後に自動車メーカーとして名を馳せるポルシェの創業者、フェルディナント・ポルシェ(以下:ポルシェ博士)でした。その戦車の存在が明らかになったのは今から80年前の4月のことでした。その戦車の名前は「マウス」といい、超重戦車とも呼ばれています。

Large figure1 gallery5クビンカ戦車博物館で展示されている超重戦車「マウス」フロント部分(画像:DokiDotto<CC0>)

 1933年から、1945年4月30日に地下壕で自決するまで、ドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーは、様々なものの開発をポルシェ博士に依頼しました。その中で最も成功したのは、戦後に大衆車として人気を博すフォルクスワーゲン・ビートルの原型であるKdF(カーデーエフ)ワーゲンです。同車をベースとした軍用車「キューベルワーゲン」はオフロード走行性の高さで軍に貢献したほか、「シュビムワーゲン」は四輪駆動の水陸両用車として様々な任務に使用されました。

 タイヤがついたクルマなら、かなり優秀なものを作ったポルシェ博士ですが、履帯(キャタピラ)のついたものだと話が変わってきます。通称「ポルシェティーガー」と呼ばれる、VK4501(P)を始め画期的な技術を取り入れた試作車両を作るも、実戦には不向きという判定を受け、その車体を流用したエレファント重駆逐戦車も、ドラブルが頻発しました。そのポルシェ博士に、戦車の常識すら外れて作られたのが、超重戦車「マウス」です。その重量はなんと188t、現在の欧州で運用されている主力戦車の約3倍もありました。

 ちなみに、同じようなコンセプトでアメリカが開発し、歴史上2番目に重いといわれているT28重戦車は86tで、半分以下の重量です。なお、「マウス」はコードネームで、当初は「マンモス」の名が冠されていましたが、そのままの意味すぎるとクレームが入ったため、欺瞞工作として「マウス」に変更されたようです。

重武装・重装甲の実現を目指したが大きな問題が…

 なぜここまで重い戦車が生まれたかというと、直接的には1941年6月に独ソ戦が始まったことが原因です。

Large figure2 gallery6「マウス」車体後部から(画像:クビンカ戦車博物館省)

 独ソ戦序盤、ドイツはT-34中戦車やKV-1重戦車など、対戦車戦を考慮した合理的な防御力を誇るソ連戦車に手を焼いていました。そこで同年11月には、早くもヒトラーがこの状況を打開するため、総統官邸における会議でポルシェ博士にこうしたソ連の優位を全て覆す、超重戦車を作るように打診したといわれています。海の対艦巨砲主義のように火力と装甲に優れる戦車を投入して、ソ連戦車を蹴散らそうと考えたワケです。

 普通なら実現は困難かと思ってしまいますが、当時ソ連戦車に受けた衝撃は強烈だったようで、ヒトラーは1943年までにソ連軍にも超重戦車が投入されると思っていました。それを危惧した結果、超重戦車の開発に着手したという説が有力なようです。なお、軍需大臣アルベルト・シュペーアは度々、この計画には反対していました。

 試作された「マウス」は砲塔に128mmと同軸別に副砲として75mm戦車砲を装備していました。当時と使用する砲弾や砲身の作りも違いますが、単純に戦車砲の大きさだけで比べると、現在の西側陣営でスタンダード戦車砲のひとつである「ラインメタル120mm L44」よりも大きな口径でした。当時の戦車ならば、どの車両も相手の射程距外から一方的に撃破できる能力を持っていました。砲身込みの全長は10m、全幅3.6m、全高は3.6mと、戦車というよりは“動くトーチカ”といったスケールです。

 装甲の厚さも規格外で、砲塔前面は最大で220mmから240mm、最も薄い底面でも60mmです。ちなみに、この低面の装甲だけで、当時アメリカ軍ほか連合国軍で使用されていたM4中戦車「シャーマン」の側面装甲50mmよりも分厚くなっています。

 これだけの重武装・重装甲を実現した同戦車ですが、当然すぎる問題が発生します。重すぎて橋を渡れなかったのです。

橋…渡らなければよくね?

「マウス」に比べればかなり軽い戦後の主力戦車でも60t程度の車体重量があるため、橋の通過は問題になることが多いです。仮に橋を渡れたとしても、橋の損傷するなどの問題もあります。しかし3倍の重量があるマウスは既にその次元ではありません。橋自体が落ちるか、ひしゃげてしまうほどでした。

Large figure3 gallery7イギリス軍が発見した「マウス」の部品(画像:帝国戦争博物館)

 そこでポルシェ博士はなんと、「橋を渡らなければいい」と考え、車体を水密構造とし、動力にエンジンと発電機、電動モーターを組み合わせたハイブリット方式を採用。対岸に置いた発電機とケーブルで接続し、外部からの電力供給でモーターを駆動させて「マウス」を潜水渡河させ、その後は渡河した「マウス」も動力として、続々と後続に電力を供給する計画をたてます。

 これがどこまで上手くいったかは定かではありません。しかし、ポルシェ博士こそ、1902年に世界で初めて実用的なハイブリッド車を開発したその人であり、決して突飛な思い付きで考えた計画ではないことがうかがえます。

 こうした実現可能か不可解か不明な部分を残しつつも、ヒトラーのお墨付きを得た同戦車は150両分の生産準備が進められました。しかし、1943年7月以降の戦局悪化により既存の戦車生産が優先されたため計画は中止され、結局2両の試作車両が作られたのみとなりました。

 さらに、作られた試作車も、カタログスペック通りの性能を発揮することはありませんでした。最大速度、登坂能力等の機動性能は計画予定値を下回っており、燃費の悪さも想定以上。さらに、機械的不調も続発したといわれ、1944年11月に正式な開発計画の中止命令が下されます。結局、独裁者の思い付きと、ポルシェ博士の技術者としての意地で進められた同戦車の開発は無駄な資源と時間を浪費しただけで終わります。

 なお、試作車はクーマンスドルフの倉庫でほこりをかぶっていましたが、1945年4月末にソ連軍が同地に迫ると、迎撃のため修理され出撃します。ただ、エンジントラブルで走行不能に陥り、試作1号車はクンマースドルフ試験場の西地区でほぼ無傷で放置された状態で鹵獲されました。2号車はツォッセン郊外にて爆破処分されましたが、その巨体ゆえか形は残り、砲塔が車体から外れた状態で赤軍に鹵獲。その後、東西冷戦が始まると、アメリカなどいわゆる西側陣営の国々では行方不明という扱いを受けますが、ゴルバチョフ書記長時代の情報公開によりクビンカ戦車博物館で展示されていることが明らかになりました。

 この展示車両は放置された2両をニコイチ修理した車両で、現在でもクビンカ戦車博物館で展示されているようです。

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