東京都江戸川区内の一般道の橋に、緑の0キロポストが置かれています。この場所から少し離れたところを通る京葉道路のものだそうですが、首都高と京葉道路との本線上の接続点にも0キロポストが。なぜふたつもあるのでしょうか。
一般道上に0キロポストと「京葉道路 終点」の看板のナゾ
東京から千葉へ伸びる「京葉道路」。都内では大分部が一般国道14号に、江戸川区内から千葉方面にかけては有料の自動車専用道にその愛称がついています。この「自動車専用道としての京葉道路」は、起終点であることを示す0キロポストが、なぜか2か所に存在します。
自動車専用道としての京葉道路は首都高7号小松川線とつながっており、両路線の本線上の境界点に、緑の0キロポストと「ここから京葉道路(別料金)」といった看板が設置されています。一方で、一般道としての京葉道路(国道14号)にも、緑の0キロポストが存在。東京都江戸川区内、新中川に架かる一之江橋の西詰にあり、上り線側(西行き)には「京葉道路 終点」という看板も設置されています。
一般国道14号の一之江橋にある京葉道路の0キロポスト(2020年7月、乗りものニュース編集部撮影)。
さらに、ここには道路管理者の境界標も設置されており、一之江橋西詰より西側は国土交通省が、東側はNEXCO東日本が一般国道14号を管理していることが明記されています。なぜ自動車専用道としての京葉道路の0キロポストがふたつあり、かつNEXCO東日本が一般道まで管理しているのでしょうか。
「京葉道路は一般国道14号の混雑緩和などを目的に建設され、1960(昭和35)年に東京都江戸川区から千葉県船橋市までの区間が開通しました。このときの起点が一之江橋の西詰であり、現在も京葉道路の起点となっています」(NEXCO東日本 関東支社)
ちなみに、NEXCO東日本が管理する一般国道14号の区間は、一之江橋の西詰から、江戸川の西側(東京都道451号との交点)までですが、一之江橋を除き、歩道部分は管理者が異なるそうです。
首都高とつながっていなかった京葉道路の「当初の姿」とは?
京葉道路の歴史をもう少しひもといてみましょう。NEXCO東日本の前身、日本道路公団の自動車専用道としての京葉道路は、前出のとおり1960年(昭和35年)に一之江出入口~船橋ICで開通し、翌年に自動車専用道としての指定を受けました。これは、道路法48条の2 第2項に定義される自動車専用道の第1号だといい、日本初の高速道路とされる名神高速もまだ開通していません。
『日本道路公団二十年史』によると、自動車専用道とはいえ平面交差が多く、やがて渋滞するようになったといいます。こうしたこともあり、当時計画されていた首都高7号線との接続が図られ、1971(昭和46)年3月、両者が高架線でつながりました。一之江橋から1.3kmほど東、首都高から続く自動車専用道の高架が一般国道14号に合流するあたりに、前出した京葉道路の「本線上の0キロポスト」が置かれており、首都高ではここを「谷河内(やごうち)接続点」などと案内しています。
「接続にあたり、当時の首都高速道路公団と日本道路公団とのあいだで境を決める必要があったことから、この地点を境界点としたものです。当社が道路を維持管理するため、またお客さまが場所を把握しやすくするため、この地点から京葉道路であることを示しています」(NEXCO東日本関東支社)
江戸川区内の一般国道14号に通じる京葉道路の篠崎IC。ここから江戸川を渡った京葉市川ICまでの区間は無料で通行できる(2019年11月、乗りものニュース編集部撮影)。
首都高との接続に前後し、一之江橋から始まる既存の京葉道路の都内区間は一般道となり、現在に至ります。いまでは沿道に住宅や商店も立ち並び、歩行者も自転車も行き交う道ですが、これが、自動車専用道としての京葉道路の当初の姿といえるでしょう。
ちなみに京葉道路は、江戸川を渡る篠崎IC~京葉市川IC間をはじめ、いくつか無料で通れる区間が存在します。これらは、料金所の設置が構造上難しかったり、料金所の設置により渋滞を引き起こす懸念があったりして、「やむを得ず」いくつかの出入口で料金所を設置しないためだそうです。