平均視聴率は驚異の52.6%
脚本家の橋田壽賀子さんが4月5日(月)に95歳で亡くなってから、早一か月が経ちました。橋田さんの代表作と言えば、もちろん『おしん』です。
『おしん』はNHK連続テレビ小説の最高傑作として語られる作品で、放送期間中の1983年から1984年までの平均視聴率は52.6%。最高視聴率は1983(昭和58)年11月12日の62.9%で、いまだ打ち破られないテレビドラマの最高視聴率記録となっています。
ビデオリサーチが視聴率調査を開始した1962年12月3日からの記録では全ジャンル中、歴代6位。史上1位は1963年12月31日のNHK紅白歌合戦です。
『おしん』より上位(2~5位)にランクインしている番組はいずれもスポーツ中継のため、『おしん』はドラマだけではなく、レギュラー放送番組の1位でもあるのです。
なお初回平均視聴率は39.2%で、本日最終回だった『おちょやん』(18.8%)と比べて2.1倍となっています。
経団連会長も漫才師も魅了した番組
そんな人気の高さは、著名人の間でも話題となります。
放送開始から早くも数週間後には、当時の経団連会長・稲山嘉寛(よしひろ)さんが、毎朝涙を流しながら見ているといううわさがまことしやかに語られます。
さらに、漫才師の横山やすしさんが出演していた日本テレビ系列の番組『久米宏のTVスクランブル』で「とにかく泣かされるでぇ」と他局であるNHKの番組を絶賛するという珍事も起こしています。
当時は家庭用ビデオデッキが普及し始めていましたが、まだまだ高価でした。そのため、通勤で朝の放送を見られないサラリーマンは昼休みになると、会社の休憩室やテレビのある飲食店へ駆けこみました。小学校の給食の時間には、先生が率先してチャンネルを回していたという証言すらあります。
朝より夜向けの内容
人気の背景には女性主人公を描きながらも男女ともに共感できた、橋田さんの脚本力がありました。
番組を担当したNHKの小林由紀子プロデューサー(当時は岡本姓)は、作中で社会背景や周囲の男性にも焦点をあてて描くことを意図していました。その意図を橋田さんは見事に汲んだわけです。
確かに『おしん』は、ほかの連続テレビ小説と比べて異色です。大抵の作品は、朝にふさわしい爽やかなオープニングテーマとともに始まります。筆者の記憶に残ってるオープニングテーマの筆頭は2010(平成22)年に放送された『ゲゲゲの女房』のいきものがかりです。
あんな調子で明るく始まり、重苦しい物語もサラっと流します。とりわけ実在の人物をモデルにした作品では、彼らの暗部はほぼ描かれません。
しかし『おしん』はどうでしょうか。坂田晃一さんのオープニングに続き、奈良岡朋子さんのナレーションで始まるため、冷静に考えれば、当時のNHK総合・夜ドラマ「銀河テレビ小説」のノリに近いでしょう。
そんなドラマを朝に放送したわけですから、かなりの挑戦でした。『週刊大衆』1983年5月23日号で取材に応じた岡本プロデューサーは、視聴率を取れなくてもよいと覚悟を決めていたと語っています。
番組の影響で、当時はまだ多くが存命だった、おしんと同世代の人たちも自らの人生を冗舌に語るようになったといいます。その後、海外でも放送され話題となりました。
現代人にも刺さる『おしん』
『おしん』はまったく古びていません。これを証明したのが2019年の再放送です。
連続テレビ小説100作記念として、2019年4月から1年間の再放送がBSプレミアムで行われると、生まれて初めて見る世代もSNS上で『おしん』を語るようになりました。
本放送のときは苦しい時代を生きた人の共感を呼んだ作品でしたが、21世紀の現在はまた違った感覚で人気となったのです。
とりわけ現代の価値観で際立つのは、並木史朗さんが演じたおしんの夫・竜三の行動です。豪農のお坊ちゃん育ちで、始めた会社を倒産させ、おしんが髪結いの仕事に復帰すると、その金で遊び歩くといったダメ男の典型でした。
関東大震災で店も工場もなくした竜三が実家に帰ると言い出したところで始まる佐賀編は、SNS上では放送前から「本当の地獄が始まる」と話題になっていました。
かと思えば物語が進み、おしん役が乙羽信子さんに変わると、田中裕子さんのときには嫁いびりを受けていたおしんが、逆に嫁いびりをする側になるなど、見逃せない点も少なくありません。
このように30年あまりで社会の価値観が変わっても、違う視点でまた見られる作品こそが橋田脚本の優れた点だと言えるでしょう。
現在、緊急事態宣言発令下で我慢をしている東京人にとって、さまざまな困難に立ち向かった『おしん』の勇気と忍耐力は良質の参考書となるかもしれません。