「何も手を加える必要はない」と称賛された機体
2026年3月5日、イギリスのスーパーマリンが開発した戦闘機「スピットファイア」が初飛行してから90周年を迎えました。
動態保存されている「スピットファイア」(画像:イギリス空軍)
この戦闘機は、水上機を用いた世界的スピードレース「シュナイダーカップ」において3年連続優勝した実績を持つ航空機メーカー、スーパーマリンによって開発されました。「スピットファイア」は同社の主任設計技師であったR・J・ミッチェルが、この世を去る前に設計した最後の機体でもあります。
最初の試作機は1936年3月5日、サウサンプトン近郊のイーストリー飛行場から飛び立ちました。搭乗したテストパイロットのジョセフ・サマーズは着陸後、周囲の人々に「何も手を加える必要はない」と語り、その完成度の高さを称賛したと伝えられています。
その言葉通り機体の完成度は非常に高いものでしたが、搭載されたロールス・ロイス製マーリンエンジンの高い潜在能力や、全金属製構造による機体の拡張性の高さにより、その後の第二次世界大戦を通じてイギリス空軍の主力戦闘機として運用され、さまざまな改良が加えられていくことになります。
改良は戦後まで続き、初期型のMk.Iから戦後に完成したMk.24まで、多数の派生型が開発されました。その結果、総生産機数は2万機を超えることになります。
戦後で空戦も経験した大戦機
初めて本格的に実戦投入されたのは、1940年7月から10月まで行われたバトル・オブ・ブリテン(英本土航空戦)でした。当時は配備数こそ多くありませんでしたが、その優秀な性能からドイツ空軍にも恐れられていたといわれています。敵側のエースパイロットであるアドルフ・ガーラントが、司令官ヘルマン・ゲーリングに対して「自分たちにもスピットファイアを配備してほしい」と皮肉交じりに語ったという逸話も残されています。
スピットファイアMk.22(画像:イギリス空軍)
エンジン出力はMk.Iの1030馬力から最終型Mk.24では2120馬力へと向上し、最高速度も582km/hから731km/hへと大きく向上しました。大戦初期には日本の零戦のように軽快な運動性能を活かした格闘戦(ドッグファイト)を得意とする機体でしたが、大戦後期になると高速化・高出力化が進み、一撃離脱戦法にも適した性能へと変化していきます。もともとの高い旋回性能も相まって、格闘戦と一撃離脱の双方をこなせる万能戦闘機へと成長していきました。
大戦終盤になると、同じマーリンエンジンを搭載する傑作機P-51「マスタング」に連合軍の制空任務の主役を譲ることになります。しかしスピットファイアは大出力エンジンを活かし、戦闘爆撃機や武装偵察機として引き続き運用されました。
そしてアメリカ、イギリス、ソ連など連合国側の戦闘機の中で、唯一戦後も生産が続けられました。1948年の第一次中東戦争では、敵味方に分かれたスピットファイア同士が戦う場面もあったとされています。
なお、同機は複数の機体がイギリス空軍の「バトル・オブ・ブリテン記念飛行隊(BBMF)」で動態保存されており、航空祭や追悼行事などで飛行しています。
