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日本一の道具街「かっぱ橋」 「かっぱ」とは河童なのか、雨合羽なのか、一体どちらなのか?

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飲食関連の道具なら何でもそろう街

 台東区の浅草と上野の間に位置する「かっぱ橋道具街」は、食器や調理器具などを取り扱う問屋街です。店舗数は170以上で、飲食関連の道具なら何でもそろう「日本一の道具街」として知られています。

台東区にあるかっぱ橋道具街(画像:(C)Google)

 筆者は以前、アイスクリームを盛る取っ手の付いた道具が急きょ必要になり、かっぱ橋道具街に行きました。正式な名前を知らなかったので、店員に

「あの~、アイスクリームをすくうアレが欲しいんですが……」

とジェスチャーをしながら尋ねたところ、「はいはい、ありますよ」とすぐにお目当ての道具が出てきました。それが「アイスクリームディッシャー」と呼ばれることを、そのとき初めて知りました。

 ちなみに巨大なスプーン型の道具より、持ち手がバネになっていて半円の部分が閉じたり開いたりするタイプのほうが素人には扱いやすいとのことでした。

かっぱは「合羽」「河童」どちら?

 そんな便利なかっぱ橋道具街ですが、その始まりは明治から大正初期にかけて古道具屋が数軒並んでいたことだとされています。なお「かっぱ橋」は通称で、行政上の地名ではありません。正確には台東区西浅草と松が谷周辺を指します。

 では、どのような事情で「かっぱ橋」という地名が生まれたのでしょうか

 名前の由来について、かっぱ橋道具街の公式ウェブサイトにはふたつの説が掲載されています。

 ひとつ目の由来は、現在の台東区生涯学習センター(台東区西浅草3)辺りにあった伊予新谷藩(現・愛媛県大洲市の新谷陣屋に藩庁を置いた藩)の下屋敷の侍が内職で雨合羽(がっぱ)を作り、近くの橋に干していたから、というもの。ふたつ目の由来は、妖怪として知られる河童(かっぱ)から、です。

 ちなみに、道具街のエリア内には「かっぱ河太郎」という名の河童のブロンズ像があります。

かっぱ橋道具街にある河童のブロンズ像「かっぱ河太郎」(画像:写真AC)

 さて、どちらの説が正しいのでしょうか。

隅田川の河童が河川改修を手伝った?

 かつて江戸時代、この土地に雨合羽を商いにしていた合羽屋喜八(かっばや きはち)という人物がいました。土地の水はけが悪かったため、喜八は私財を投じて当時流れていた新堀川の改修を行いました。

 現在、新堀川は「新堀通り」として、道具街を南北に走っています。

赤い部分が新堀通り(画像:(C)Google)

 しかし喜八の工事は思うようにはかどらなかったため、その様子を見ていた隅田川の河童たちが毎夜作業に協力。河童たちを目撃した人は運が開けたと言われています。

 やがてこの言い伝えは「かっぱ大明神」という信仰になり、商売繁盛を願うものに変化。喜八が葬られた曹源寺(台東区松が谷3)にはかっぱ大明神を祭ったお堂があります。ちなみに大明神の前で「オン カッパ ヤ ソワカ」という真言を21回唱えると、御利益があるそうです。

 なお喜八の墓碑には「てっぺんへ手向けの水や川太郎」と記され、墓石のてっぺんは水がたまるようにへこんでおり、河童をイメージしたようなデザインになっています。ちなみに「川太郎」とは喜八のことです。

河童の起源は何か

河童の起源は何か

 新堀川ができたのは文化年間(1804~1818年)です。当時、既にこの一帯は市街地化が進んでおり、いくら江戸時代と言えど、河童が隅田川から夜中にゾロゾロ現れたら、たちまち多くの見物人に取り囲まれてしまうでしょう。

 河童の一般的なイメージといえば、甲羅を背負い、頭の上に皿がのり、きゅうりを好む緑色の生き物です。地域によっては「川太郎」「ミズチ」などの呼び名で伝承が広まっています。そんな河童には、土木工事で働かされた人形が河童になったという伝承が全国的に存在します。

 河童の起源にもっとも早く着目したのが、民俗学者の柳田国男です。柳田は『北肥戦誌 九州治乱記』(肥前国を中心とした九州全域の通史)に記された伝承を、自著『桃太郎の誕生』で紹介しています。

柳田国男『桃太郎の誕生』(画像:角川学芸出版)

『北肥戦誌 九州治乱記』によると、奈良時代の官僚だった橘諸兄(たちばなのもろえ)の孫・兵部大輔(ひょうぶたゆう)島田丸が春日神社の造営を命じられた際、99体の人形を作り働かせました。そして、神社の完成後に人形を川に捨てたところ、人形が人馬に害をなすようになったとあります。柳田は、この人形のなれの果てを河童であるとしています。

 土木工事に使われた人形が河童となったという伝承は、これまでも研究の対象となってきました。京都大学の中尾聡史氏らの研究では、こうした伝承を踏まえた上で「河童人形起源譚(たん)に登場する河童は、土木現場で働かされた上に、土木行為によるケガレを背負わされ見捨てられた存在であると言える」としています(中尾聡史・森栗茂一・藤井聡「河童の民話における土木技術者の位置づけに関する民俗学的研究」『実践政策学』第2巻1号)。

 民俗学では、農業を基盤とする常民が社会の中心に置かれ、特殊な技術を使う人たちは下位に位置づけられたとする考え方があります。そうした歴史のなかで、土木技術者にまつわるさまざまな出来事が河童の伝承へと変化し、現代に伝わってきたのです。

 つまり、合羽屋喜八にまつわる伝承は荒唐無稽な作り話ではなく、私財を投じて堀を開削した合羽屋喜八に心をうたれた土木技術者が工事に参加したのではないか――と考えることができます。

曖昧な伝承は数多く存在

曖昧な伝承は数多く存在

 江戸時代にもかかわらず、なぜこのような曖昧な伝承しか記録されなかったのでしょうか。しかし現代に近い過去であっても、事実が曖昧な伝承は数多く存在します。

 前述の河童のブロンズ像も同様です。設置は2003(平成15)年で、前年に道具街が設立90周年を迎えたことを記念したものということになっていますが、本当にぴったり90周年だったかどうかはわかりません。

 というのも、道具屋が集まるようになったのは明治から大正初期にかけてで、なにかの事業で一斉に集まったのではないからです。なんとなく集まるようになり、じわじわと成立したため、明確に何年に始まったとは断言できません。そこで、きりのいい大正元年(1912)年から90年が経過したということで、90周年として設置したといいます。

台東区にあるかっぱ橋道具街(画像:(C)Google)

 新堀通りの由来になった新堀川はかつて、現在の新堀通り、かっぱ橋道具街を蔵前橋通りまで流れ、そこから東に折れて、隅田川に注いでいました。かっぱ橋道具街を訪れた際には、その道を歩いてみることもオススメです。

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