誕生から45年たった現在も……
世田谷区にある祖師谷公園(世田谷区上祖師谷)は、仙川の両岸に9haあまりの敷地を持つ、住宅地に囲まれた公園です。
祖師谷公園は1975(昭和50)年、東京教育大学(現・筑波大学)の農場跡地を利用する形で誕生。しかし、45年たった現在でも完成していないのです。
工事が日常風景となっている場所といえば、国内では横浜駅や新宿駅、国外ではスペインのサグラダ・ファミリアが定番ですが、祖師谷公園はそれらよりも「ハイレベル」とちまたでささやかれています。
その理由は、これから「100年たっても完成しない」と言われているからです。
サグラダ・ファミリアですら、設計者の没後100周年にあたる2026年に完成予定と、一応の見通しは立っています。祖師谷公園が100年たっても完成しないのは、いったいなぜでしょうか。
緑地計画と防空法改正
もともと祖師谷公園は、1939(昭和14)年に策定された「東京緑地計画」によって計画されました。
東京緑地計画とは、環状の緑地帯で当時の東京市の外周を囲もうという大規模な都市計画でした。
しかし計画は、1941年に入って性格を変えます。
防空法改正により、計画中の緑地は「防空緑地」として買収と工事が進められることに。
防空緑地とは都市が空襲を受けたときに、延焼を防いだり避難場所を確保したりする目的で設置されるものです。
東京都は周辺地域の買収を進めるも……
1945(昭和20)年に戦争が終わると、整備された防空緑地は都市公園として整備されていきます。
防空緑地を起源とする都内の公園は、
・城北中央公園(板橋区、練馬区)
・舎人(とねり)公園(足立区)
・砧(きぬた)公園(世田谷区)
などさまざまですが、祖師谷公園の整備はこれらの公園に比べて遅れています。
最大の理由は、地域が急速に都市化したことです。
1939年に最初の計画が制定されたとき、周辺地域はまだ田園風景も残る都市の郊外でした。
ところが、戦後になって都市化が進み、1975(昭和50)年の開園時には、公園が住宅地の真ん中に位置するようになっていたのです。
開園後も、公園を管理する東京都は周辺地域の買収を進めています。
それでも東京都の計画図に基づけば、公園は当初の計画の半分にも達していません。
陣取りゲームのように、ところどころで空いた土地を公園用地として確保しているようですが、予定地に広がる住宅全ての住人に移転してもらうのは、素人目にも不可能です。
もしも予定地をすべて公園にする場合、1800棟あまりの住宅が移転対象になる計算です。
公園予定地のデメリット
しかも、公園予定地となっていることで周辺地域にも不便が生じています。
公園となることが前提のため、道路整備計画が存在せず、窮屈な道路が多くなっているのです。
中には消防車も満足に通ることができないような道路もあるため、震災や火事などの災害発生時には、困難をきたすのではないかと心配されています。
ならば土地の買収を早々と実現して公園化を促進すればいいのですが、それも簡単なことではありません。
世田谷区の土地価格は、それ相応のもの。そのため都や区は、なかなか購入することができないのです。
これまでも住民側から土地を売却する申し出がいくつもあったものの、予算がなく断っている事例もあるほどです。
スピーディーな都市化が生んだ姿
東京都が公開する最新資料「祖師谷公園マネジメントプラン」(2015年3月)にも、新たに入手し、整備を進めていく土地について触れられているものの、それでも完成にはほど遠いままです。
道路や公園を計画したら予想以上に早く周囲が都市化したために、予定通りにはならない――祖師谷公園に限らず、そのような計画がたくさんあるのも、東京の偽らざる姿なのです。