ソーシャルディスタンス時代にぴったり
新型コロナウイルスの感染拡大にともない、飲食店は少なくとも2020年いっぱい、ソーシャルディスタンス(社会的距離)に配慮した店舗が注目を集めるでしょう。そうなると、やっぱり一番安心は露店なのでしょうか。
さすがにそこまでいくとやり過ぎですが、同様の安心感なのがオープンカフェでしょう。
このオープンカフェは流行当時、夏は蚊が寄ってくるわ、冬は寒いわで、日本からすぐに消えてなくなると思われていましたが、すっかり定番になりました。
確かに、オープンカフェが盛んなフランスやイタリアも同じように夏は暑く冬は寒いですから、取り越し苦労だったのかもしれません。
日本では1994年ごろから?
そんなオープンカフェですが、日本での始まりはいつごろなのでしょうか。
店前に椅子とテーブルを置いていた喫茶店は昔からあったため、厳密にどの店が第1号なのかはわかりません。
ただ資料を調べていくと、表参道のスパイラルビルの裏手にある、1994(平成6)年6月オープンの「カフェ・マディ青山店」(港区南青山)が最初期と言えそうです。
カフェ・マディ青山店に続き、同年10月には恵比寿ガーデンプレイスのそばに「ムーンチャイルド」、翌年3月には神宮前に「オーバカナル」がオープン。
このことからも、日本におけるオープンカフェ文化は1994年頃に始まったものといって間違いないでしょう。
定番だった純喫茶は時代遅れに
こうしたオープンカフェは、なぜ登場したのでしょうか。その理由は、それまでの喫茶店が時代遅れになったことです。
経済産業省の商業統計によると、1980年代初頭には2万店近くあった喫茶店は、1990年代に入ると1万店程度まで減少。
1980年代初頭まで、ちょっとお茶をしたり軽食を食べたりするのは、いわゆる「純喫茶」が定番でした。
現在では想像できませんが、オフィスの電話でコーヒーを注文すると喫茶店のマスターが「毎度どうも」と出前を運んでくる光景も珍しいものではありませんでした。
どう考えても採算の合わないビジネスモデルですが、社員が仕事をサボりたいときに会社を抜け出してお店に寄ってくれるから、なんやかんやでつじつまが合っていたのでしょう。
営業時間の長さが決め手に
しかし、1980年代からファミリーレストラン、ファストフード、コンビニエンスストアが台頭すると、従来の喫茶店は時代遅れの業態となります。
そこで新たに登場したのが、コーヒーチェーンです。チェーンごとに低価格路線の店、高価格路線の店とさまざまでしたが、いずれも従来の喫茶店に取って代わり、主流になっていきました。
こうしたなか、新たな業態として登場したのが、パリの風景をそのまま持って来たようなオープンカフェだったわけです。
オープンカフェが人気となった理由はさまざまです。
従来の喫茶店やコーヒーチェーンと比べて、ドリンクのバリエーションが多く、アルコール類や食べ物も豊富でした。
しかしもっとも大きな理由は、営業時間が長く、深夜でも明け方でもコーヒーが飲めたことにあるでしょう。
「夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと」
の歌詞で知られる、「ピンキーとキラーズ」の『恋の季節』は1969(昭和44)年のヒット曲ですが、当時は夜明けのコーヒーはもとより、深夜のコーヒーが飲める店は都内でも限られていました。
靖国(やすくに)通り沿いにあった「珈琲貴族エジンバラ」は24時間営業をしている店で、東京人だったら当時誰でも知っている店(現在は新宿3丁目に移転)。深夜や明け方にコーヒーを出す店はそれくらい少なかったのです。
女性の新たなライフスタイルも生んだ
それまでは、夜中にコーヒーを飲んだら眠れなくなると言われていたこともあってか、オープンカフェのおしゃれなテラス席で飲むコーヒーは、ちょっと悪いことをしているかのような「ゾクゾク感」もあり、値段の数倍おいしく感じたものです。
とりわけ、オープンカフェは女性に人気となりました。なぜかというと、当時は深夜まで女性が長居できるような店が少なかったからです。
オープンカフェのコーヒーの価格はほかのカフェより高めで、深夜はチャージがかかる店もありました。しかし酔っぱらいに絡まれないなど、女性にとって安心して過ごせたことも大きな要因でした。
オープンカフェの登場は、女性がひとりで夜にコーヒーを飲んだり、朝までおしゃべりに興じたり、新たなスタイルを浸透させていきました。
ソーシャルディスタンスに注目が集まっている現在、オープンカフェは再び人気が高まりそうな予感がします。