携帯もネットもなかった時代の遠距離恋愛
恋人と遠く離れて暮らしている人は現在も少なくありません。とりわけコロナ禍でなかなか会えず、トークアプリや電話だけで寂しさを紛らわせている人は多いことでしょう。ただ、携帯電話もインターネットもなかった時代の遠距離恋愛は、今よりさらに大変だったのです。
なにしろ通信手段は手紙か電話に限られており、会うどころか連絡を取るのも困難でした。毎日の電話で「おはよう」「おやすみ」を言うのが関の山。それでも盛り上がったカップルもいれば、卒業や転勤を機に別れを選んだカップルも。
フォークバンドのかぐや姫が歌い、のちにイルカがカバーした『なごり雪』(1975年)のような光景は、ある種、季節の風物詩として存在していました。
最終電車の名は「シンデレラ・エクスプレス」
まだそんなカップルが主流だった1980年代。
日曜日の21時を迎える頃、東京駅の14番線ホームはカップルで埋め尽くされていました。新大阪行き最終「ひかり289号」――そこには遠距離恋愛のカップルが週末をふたりで過ごし、再びの別れを惜しみ抱きしめ合う光景があったのです。恋人たちの無数のドラマが交錯する最終列車。誰が呼んだか「シンデレラ・エクスプレス」……。
「シンデレラ・エクスプレス」の名前には由来があります。それは松任谷由実の同名曲です。
シンデレラ 今 魔法が♪
消えるように列車出てくけど♪
ガラスの靴 片方 彼が持っているの♪
と歌われるこの曲は、1985(昭和60)年にTBS系『日立テレビシティ』で放送されたドキュメンタリー『シンデレラ・エクスプレス 48時間の恋人たち』で使われました。
番組オリジナル曲として制作されたユーミンの歌はその後、1987年4月の国鉄民営化を前に流れていた暗い空気を払拭(ふっしょく)するようにヒット。
のちに、わたせせいぞうのマンガ『ハートカクテル』とコラボしたアニメも制作されたり、1986年9月には『東芝日曜劇場』で岩城滉一・荻野目慶子主演のドラマ『週末物語 シンデレラ・エクスプレス』も放送されたりしています。
「離れ離れ」という愁い
そんなロマンチックなイメージをCMとして打ち出したのが、誕生したばかりのJR東海でした。
民営化とともに誕生したJR東海は東海道新幹線という「ドル箱路線」を抱えつつも、そこに安寧することなく、民間企業として新たな宣伝戦略を迫られていました。というのも、東海道新幹線を所有しながら企業としての知名度が低いのではないかと考えていたからです(『宣伝会議』1987年9月号)。
そして登場したテレビCMの舞台は、やはり夜の東京駅のプラットホーム。恋人らしいふたりの若者が手を取り合って別れを惜しむシーン。そして走りだす新幹線。男性を見送る若い女性の愁いを含んだ表情に続いて入るナレーションは
「離れ離れに暮らす恋人たちが、週末を東京で過ごし、また離れ離れに……」。
でした。
JR各社の駅には、同じく愁いを帯びた表情の女性をメインに、新幹線の窓を挟んで見つめ合う恋人の姿のポスターが張り出され、そこには
「日曜夜9時、シンデレラたちの魔法がとける」
とのキャッチコピーが入っていました。
駅のポスターが盗まれる騒ぎも
1987年の夏から始まった広告戦略は、すぐ話題に。とりわけ、駅ではポスターが盗まれる事件が相次ぎ、皮肉にもCMの効果を証明することとなりました。
この広告のためにJR東海が投じた予算は1億数千万円。半分はテレビCMの費用です。当時の宣伝費としては控えめの額で、CMの開始がお中元シーズンと重なったこともあり、東京では21日間に65回と、あまり多く流れませんでした(『THE21』1987年9月号)。
それにもかかわらず効果は圧倒的。元はCMに登場するような20代前半の男女をメインターゲットとしていましたが、実際にはあらゆる年齢層にうけたのです。その結果、CMの目的のひとつだった会社名の浸透は達成されました。
国鉄の民営化によって生まれたJR各社は、地域によっては知名度の浸透に苦慮していました。タクシーに乗って「JRの○○駅」と伝えたら、間が一瞬あり「ああ、国鉄の」と聞き返されてしまうほどで、そのような現象は1990年代になっても地方で続いていました。ところが「シンデレラ・エクスプレス」の宣伝が行われた地域では、瞬く間に「JR○○」という社名が普及していったといいます。
大ヒットCMのその後
この成功を受けて、JR東海はこのキャンペーンと結びつけた事業を展開していきます。
「アリス」「プレイバック」「ハックルベリー」と、新幹線を舞台にしたエクスプレスキャンペーンを展開。さらに「シンデレラ・エクスプレス 東京ディズニーランドの旅」という企画も生まれています。
当時、JR各社は公共事業体からの移行でさまざまな事業展開を模索していました。今では当たり前ですが、旅行代理店や駅ナカのコンビニエンスストアやパン店などを経営したりすること自体が当時はニュースでした。
そんな模索のなかから生まれた「シンデレラ・エクスプレス」のブームは、新会社に生まれ変わったことを知らしめる大きなインパクトとなったわけです。
さて、物語の舞台になった新大阪行き最終「ひかり289号」ですが、1992(平成4)年春のダイヤ改正で、のぞみの導入とともに消滅します。このとき、JR東海では21時18分発の最終「のぞみ303号」を再びシンデレラ・エクスプレスと名付けてキャンペーンを実施しています。
そして現在、日曜日の新大阪行き最終は21時24分発「のぞみ265号」。スマートフォンでいつでも相手の顔を見て話ができる時代に、名残を惜しむカップルはいるのでしょうか。そういえば、プラットホームの別れをテーマにした歌も最近は聞きません。
皆さんはこんな思い出、ありますか?