かつては貨物列車にも車掌がおり、そのための専用車両「車掌車」が連結されていました。しかし今は機関士1人のワンマン運転。なぜ貨物列車の車掌と、車掌を載せていた車掌車は姿を消したのでしょうか。
貨物列車の車掌は何をしていた?
鉄道貨物輸送の開始から150年となった2023年現在、貨物列車はJR東海道本線や東北本線、日本海縦貫幹線といった幹線を中心に、コンテナや石油などの輸送を担っています。貨物列車の最後尾には、後続車両に列車の存在を示すための反射板がついていますが、かつてはここに、車掌が乗務する「車掌車」が連結されていました。
旅客列車での車掌の業務は、アナウンスやドアの開扉などのほか、列車防護といった保安業務など多岐に渡りますが、貨物列車には旅客も乗っていなければ駅ごとにドアを開ける必要もありません。では貨物列車の車掌はどんな仕事をしていたのか、それが分かると現在の貨物列車に車掌が乗っていない、つまり車掌車が連結されなくなった理由も分かってきます。
現代でも、特大貨物列車や一部の甲種輸送列車に車掌車が連結されているが、車掌は乗務していない(写真AC)。
2023年現在、貨物列車は工場や貨物駅どうしを直行するのが原則で、旅客駅に停車してもそこで貨物の積み下ろしはしません。しかし国鉄時代、1984(昭和59)年までは旅客駅や操車場に貨物列車を止め、貨物を積み下ろしたり、発着する貨車の連結や解放を行ったりしていました。
その際、機関士に連結や解放の指示、発車合図を出す列車係としての業務や、駅や操車場で所定の貨車を切り離せたか、新たに連結した貨車はどこまで行くのかなどを克明に記録する必要があり、そういった仕事を車掌が担っていました。もちろん後部の安全確認や保安業務も車掌の重要な仕事です。
転機は1984年のこと
こういった業務を円滑に行うため、貨物列車の最後部に車掌車を連結していたわけです。車掌車には机といすが装備され、車内で貨車に関する書類仕事ができるようになっていました。冷房はなく暖房はストーブのみ、トイレは1974(昭和49)年製造のヨ8000形式まで装備されなかったので、労働環境はあまりよくなかったようです。
世田谷公園(東京都)に保存されているヨ5000形車掌車。かつてはこのような車掌車が、貨物列車の最後尾に連結されていた(2023年9月、児山 計撮影)。
ではなぜ、現代の貨物列車には車掌車が連結されていないのでしょうか。車掌は列車の運行責任者としての重責も負っていたはずです。
これは、1984年を境に貨物列車の運行形態が変化したためです。
同年のダイヤ改正以降、国鉄の貨物列車は旅客駅や操車場での貨物扱いを順次取りやめ、貨物駅間や工場間を直行する運行形式に変更されます。この運転方式では、途中駅で貨物を連結・解放しないので、車掌の書類仕事は必要なくなりました。さらにブレーキシステムや保安システムの進化により、これら保安業務も機関士1人で可能となって車掌が不要となり、貨物列車からは車掌車が外されました。
廃車となった車掌車は、その車体がローカル線の古くなった駅舎の代用として活用された例もあります。しかし最近はその車体も、老朽化や路線廃止などの理由で急速に数を減らしています。
今でも連結することがある!?
貨物列車の車掌業務が廃止されたと述べてきましたが、実は車掌車そのものは消滅しておらず、ごく少数ですが現役で活躍しています。ただし、本来の車掌車として運用されているものはなく、別の役割を担っています。
たとえば東武鉄道鬼怒川線で運行されている観光列車「SL大樹」には、機関車の後ろに車掌車が連結されています。ただし、この車両には車掌は乗務しておらず、車掌車の中には保安装置であるATS(自動列車停止装置)が積まれており、列車の安全を確保しています。
東武鉄道鬼怒川線で運行されている観光列車「SL大樹」には、機関車の後ろに車掌車が連結されている。この車掌車には、ATSなど保安設備を搭載している(画像:東武鉄道)。
JRでは、巨大な変圧器などを輸送する特大貨物にも車掌車が連結されています。乗っているのは車掌ではなく、変圧器メーカーの係員など。添乗するための車両として連結されているのです。
また、新造した車両を鉄道会社まで輸送する甲種輸送でも、最後部に車掌車が連結される場合があります。これは途中で長時間の留置が必要になる場合など、車掌車でブレーキを作用させて輸送中の車両が動かないようにする役割を担っています。もっとも、最近はブレーキシステムの改良により車掌車の連結が必要ないケースが増えており、甲種輸送における車掌車の連結はレアケースとなっています。
このように、時代とともにその役割が変化している車掌車ですが、いちばん新しいヨ8000形式でも1979(昭和54)年製造で、登場から40年が過ぎています。残存する車両も20両程度しかありません。とはいえ小型であまり場所を取らないためか、保存車両は意外と多く、日本各地の公園や駅などでその姿を目にできます。