電車やバスなどの公共交通機関には、高齢者や体の不自由な人、妊婦が優先して着席できる「優先席」が設けられています。この席は周囲に必要としている人がいなければ、健常者の着席を禁止していませんが、健常者の中には、優先席を必要としている人が周囲にいても席を譲らない人もいます。社会的なマナーとしても席を譲るべきだと思いますが、もし、優先席に座っている健常者が高齢者から、「席を譲ってください」と言われても譲らなかった場合、違法行為となるのでしょうか。
佐藤みのり法律事務所の佐藤みのり弁護士に聞きました。
あくまで、思いやる気持ち
Q.そもそも、優先席は法的にどのように位置付けられているのですか。
佐藤さん「優先席は法律で定められたものではなく、鉄道会社やバス会社が自主的に設けているルールです。そのため、法的拘束力はなく、一定の人に『優先席に座る権利』や『優先席を譲る義務』を生じさせるものではありません。思いやりの精神から生まれたルールだと思いますので、公共交通機関を利用するときは、さまざまな年齢、体質、体調の人が利用していることを忘れず、自主的に優先席ルールに従うことが大切でしょう」
Q.では、優先席に座っている健常者が高齢者から、「席を譲ってください」と言われても譲らなかったとしても違法性は問えないということでしょうか。
佐藤さん「違法にはなりません。先述したように優先席に法的拘束力はありませんから、高齢者から、『席を譲ってください』と言われて譲らなかったとしても、何らかの法的責任が生じることはありません。健常者であっても、たまたま体調が悪く、席を譲れないこともあるでしょう。譲らない行為を責めるのではなく、あくまで、お互いを思いやる気持ちが大切だと思います」
Q.優先席を譲られなかったため、高齢者が何度も譲るようにお願いをすると、逆に高齢者が罪に問われると聞いたことがあります。本当でしょうか。
佐藤さん「優先席を譲ってもらえなかった高齢者が何度も譲るようにお願いしただけでは、罪に問われることはありません。ただし、お願いの仕方が『脅迫』『暴行』に当たれば、脅迫罪(刑法222条)や暴行罪(同208条)に問われる可能性があります。また、脅迫や暴行を用いて、無理やり優先席を譲らせた場合、強要罪(同223条)に問われることも考えられます。
例えば、『席を譲らないなら、駅員に突き出してやる。もう仕事もできないようにさせてやる』などの言葉を浴びせた場合、脅迫に当たる可能性がありますし、席を譲ってくれなかった人の足を蹴るなどの行為があれば、暴行に当たるでしょう。ただ、こうした行為によって、無理やり優先席を譲らせるケースというのはほとんどないと思います」
Q.若者が優先席に座っていると、高齢者が突然、「お前が座るところではない」と怒声を浴びせている光景を見たことがあります。優先席に座っていることを突然、大声で批判する行為は問題ないのでしょうか。
佐藤さん「突然、大きな声で怒声を浴びせた場合、軽犯罪法に触れる可能性があるでしょう。軽犯罪法1条5号は『電車などの公共の乗り物の中で、乗客に対して著しく粗野、または、乱暴な言動で迷惑をかける』行為を禁じています。軽犯罪とはいえ、違反すれば刑罰(拘留、または科料)が科されることになりますから、言動には慎重になるべきです。席を譲ってほしい側も譲れない事情がある側も、強引な姿勢をみせるとトラブルの原因になります。相手を責めることなく、話し合うことが大切です」
Q.罰則はなくとも、高齢者などは優先席に座る「権利」があり、「健常者は高齢者などに席を譲る「義務」があるといったように、権利と義務のような形で法的に規定できないのでしょうか。
佐藤さん「法的な『権利』や『義務』を生じさせることには、なじまない問題だと思います。先述したように、公共交通機関の利用者にはさまざまな人がいます。高齢者や体の不自由な人、妊婦など一定の属性を持つ人だけでなく、たまたま、その日の体調が優れない人も利用しているでしょう。また、外見からは分かりにくい、立っているのがつらい事情を抱えている人もいるでしょう。誰に『権利』を与え、『義務』を課すのか非常にあいまいで線引きは困難だと思います。
法的な『権利』『義務』というのは非常に強い力を持っています。国家により強制することが可能だからです。法律によって、高齢者など一定の属性を持つ人に権利を与えた場合、権利の対象から外れた、たまたま、その日の体調が優れない人が席を譲らなければ、その人の行為は『違法』となり、裁判所に訴えられ、賠償責任などを負うことになりかねません。一方、法律で体調不良者などにも広く権利を与えた場合、体調不良を装う人が『席を譲れ』と権利を主張し、公平性が害される恐れもあるでしょう。
このように法的な『権利』『義務』とすることで、逆に社会に混乱や分断を招くことになってしまうのではないでしょうか」
Q.優先席を譲るか譲らないかの問題は長年にわたって、度々議論となっています。こうした「社会的なマナー」とも認識される事柄は法的な規定は適さないということでしょうか。
佐藤さん「法的な規制は適さないと思います。社会は自由が原則です。法律によって規制するには、それなりの必要性や合理性が認められなければなりません。何もかも法律によって国家が強制するとなると、先述したように逆に社会が混乱したり、分断されたりするでしょう。社会の秩序を守ってくれるのは法律に限らず、道徳や慣習などもあります。優先席ルールのように、お互いが気持ちよく生活できるための自主的ルールが浸透し、思いやりを持った行動へとつながることが望ましいと思います」
オトナンサー編集部