東京の地下鉄路線図を眺めたとき、比較的新しい副都心線と大江戸線を除くと、丸ノ内線は歴史あるほかの路線のなかでも特徴的なコの字を描いています。これは路線名称に注目し、起点となる場所を変えて見ると理由が分かります。
時代が下るにつれ、山手線の範囲を越え広がった東京の街
東京の地下鉄13路線のうち、副都心線を除く12路線が千代田区、中央区、港区の都心3区を通っており、そのうち大江戸線と丸ノ内線を除く10路線が、都心を東西または南北に貫くように走っています。比較的新しい副都心線と大江戸線を除いたとき、なぜ丸ノ内線はほかの路線とは異なり、コの字を描くように走っているのでしょうか。
丸ノ内線の2000系(2018年10月、恵 知仁撮影)。
地下鉄は、おもに人々が郊外から都心へ移動するための手段として計画された交通機関です。東京で地下鉄建設が始まるのは昭和戦前期のことですが、地下鉄建設に向けた議論は大正時代から始まっています。
明治期までの東京は、現在と比較したら非常に小さな都市でした。住宅地は、西は山手線の内側から、東はいまの墨田区、江東区のあたりまでしか広がっておらず、交通の主役は路面電車でした。
ところが大正時代に入ると商工業が発展し、東京の街は山手線を越えて、徐々に郊外に広がっていきます。すると路面電車では輸送力、移動時間ともに不足するようになり、欧米の都市のように地下鉄を建設しようという機運が盛り上がりました。
1917(大正6)年に設置された「東京市内外交通調査会」は、東京の交通問題を科学的に調査し、初めて東京の地下鉄網の整備方針を示します。
「直通」に似た「スルールート」の考え方 地下鉄も例外ではなかった
東京市内外交通調査会における報告書では、地下鉄網に求められる条件を次のように掲げました。
・地下鉄は郊外から中心地に集中する必要がある。
・地下鉄はできるだけ市の中心地を貫通する「スルールート」を構成する必要がある。
・地下鉄は各路線間の連絡はもちろん、国鉄、私鉄、路面電車との接続が重要である。
「スルールート」とは、郊外からやってきた列車が都心で折返し運転をするのではなく、都心を東西または南北に貫くように運行される路線という意味です。
JR上野東京ライン。東海道線が東京駅、上野駅を経由して高崎線や宇都宮線に直通し、関東北部まで乗り入れる(画像:写真AC)。
JRの事例になりますが、以前は上野駅や東京駅で折返し運転していた東海道線や宇都宮線、高崎線、常磐線が、上野東京ラインの開業により、各路線が直通運転を開始した事例を思い浮かべるとよいでしょう。これにより、都心で乗り換えをする必要がなくなるばかりか、車両や乗務員の運用が効率化されるメリットも生まれました。
この「スルールート」という考え方は、2020年現在の地下鉄計画にも受け継がれています。例えば日比谷線は北千住駅(足立区)から都心方面に向かう路線と、中目黒(目黒区)から都心方面に向かう路線がつながってできています。都営浅草線は押上駅(墨田区)から都心方面に向かう路線と、品川駅(港区)から都心方面に向かう路線がつながって1本の路線になっています。つまり、各地下鉄路線は都心から郊外に延びるふたつの放射状の路線が都心でつながることで、ひとつの路線になっているのです。
私鉄のターミナル駅から都心を目指した2路線 その地とは
丸ノ内線の路線図は池袋駅から東京駅を経由して新宿駅に向かう路線として見ると、不思議なコの字型をしていますが、東京駅を起点に考えてみると、東京駅から池袋駅へ、および東京駅から新宿駅へと、放射状に延びるふたつの路線がつながった形をしていることが分かります。つまり丸ノ内線も、「放射状の路線を都心で繋げてスルールートを構成する」という原則から外れた路線ではありません。
東京駅の西側、丸の内。丸ノ内線は、新宿や池袋といった私鉄のターミナル駅と、新たな業務地域である丸の内を結ぶ(画像:写真AC)。
では、なぜ池袋、新宿と東京駅を結ぶことにしたのでしょうか。
丸ノ内線は、銀座線に次いで、東京で2番目に古い地下鉄路線です。銀座線は浅草駅を起点に、上野から日本橋、銀座、新橋まで中央通りの地下を抜け、虎ノ門や青山を経て渋谷まで走ります。銀座線の開通により、東京駅の東側にある、日本橋を中心とする江戸以来の東京の中心地と、私鉄のターミナルである渋谷が結ばれました。
続いて東京に必要とされた地下鉄は、東京駅の西側、丸の内を中心とする新たな業務地域を通る路線、そして渋谷に並ぶ私鉄のターミナル駅である、新宿、池袋と都心を結ぶ路線でした。
そこで、池袋と丸の内を結ぶ路線と、新宿と丸の内を結ぶ路線が構想され、そのふたつを接続することで誕生したのが丸ノ内線でした。「丸ノ内線」という路線名には、実はそのことが深く刻み込まれているのです。