第二次世界大戦中に運用されたドイツ軍の重戦車「ティーガーI」と「ティーガーII」は、同じティーガー(虎)の名前を冠していながら、デザインは大きく異なります。
ドイツ戦車なのにカクカクではない「ティーガーII」
第二次世界大戦中にドイツ軍が運用した重戦車「ティーガーI」と「ティーガーII」は、同じティーガー(虎)の名前を冠していながら、その外見は似ても似つかないものになっています。なぜこのようにデザインが変わってしまったかというと、当時の戦争相手国であるソビエト連邦が関係しています。
第二次大戦末期の1944年中盤以降から戦場に投入された「ティーガーII」(画像:連邦公文書館)。
「ティーガーI」が角ばったデザインなのに対し「ティーガーII」が傾斜が多いフォルムになっています。これは、「ティーガーII」が“避弾経始”を重視したため。装甲を傾斜させることで、徹甲弾などの対戦車砲弾の運動エネルギーを分散させ、逸らして跳弾(弾く)という発想の「傾斜装甲」を採用していることに影響しています。
元々は1920年代にアメリカで開発されたクリスティー戦車で考え出された発想ですが、この理論を発展させたのがソ連軍でした。ソ連軍は、避弾経始により防御力を向上しつつ、重量の軽減や鋼板の節約ができると考え、砲塔・車体ともに全周で避弾装甲を採用したT-34中戦車を1941年7月以降の独ソ戦初期から投入。機動性、火力、防御力に優れる同戦車はドイツ軍に衝撃を与えました。
避弾経始はドイツ戦車以外にも大きな影響を与える
T-34との戦訓を強く反映した結果、1944年中頃から本格的に生産が始まった「ティーガーII」は傾斜の多い車体デザインとなりました。その2年前から生産された「ティーガーI」も独ソ戦中に完成した機体ではありますが、T-34の影響が大きくなる以前に計画された車両で、既存のドイツ戦車を発展、大型化したようなデザイン。対して「ティーガーII」は、同じくT-34の避弾経始を参考にして作られた「パンター」中戦車を大型化したような外見になっています。
しかし、「ティーガーII」はもともと「ティーガーI」が搭載できなかった、クルップ製の「8.8cm KwK 43 L/71」という「ティーガーI」の8.8cm砲より砲身が長く、対戦車戦に優れた戦車砲を使用するために計画されました。外見こそ違うものの、エンジンやトランスミッションは「II」も同じもの、もしくは発展させたものが使用されており、動力や足回りでは「ティーガーI」の発展型だったことがうかがえます。
第二次大戦初期のドイツ戦車のデザインを色濃く残す「ティーガーI」(画像:パブリックドメイン)。
避弾経始に影響を受けたのは「ティーガーII」や「パンター」など戦時中のドイツ戦車だけではありません。T-55やT-72など戦後のソ連戦車はもちろん、日本の陸上自衛隊で2023年度中の退役が決まっている74式戦車や、素材の異なる防御板を何枚も重ね合わせて作られた、複合装甲が当たり前となったアメリカのM1「エイブラムス」やイギリスの「チャレンジャー2」など第3世代以降の主力戦車でも、一部で採用されています。
※一部修正しました(9月27日22時33分)。