人類が初めて月面に降り立ってから今日で55年です。当時の世界情勢を鑑みると、宇宙開発が米ソの対立と国威発揚の道具になっていたことも事実ですが、無人機が発達した現代でもなお、各国は有人で月を目指しています。
読まれることのなかった幻のスピーチ原稿
1969年(昭和44)年7月20日、アポロ11号は人類最初の有人月面着陸に成功しました。月面に降り立ったニール・アームストロング船長の「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ」というセリフは有名です。その2日前、当時のアメリカ大統領ニクソンには、幻となったスピーチ原稿が手渡されていました。
「勇敢な宇宙飛行士であるニール・アームストロングとバズ・オルドリンは、帰還の見込みがないことがわかりました。(中略)これからは夜に月を見上げるすべての人が、どこか別の世界の片隅に、彼らの存在を感じることとなるでしょう」
これは、アポロ11号のミッションが失敗した時に備えて用意された追悼スピーチでした。
1969年7月16日午前9時32分(米国東部夏時間)、アポロ11号を搭載して、ケネディ宇宙センターの39A発射台から飛び立つサターンV(NASA, Public domain, via Wikimedia Commons)。
7月24日、アームストロング船長とオルドリン、月周回軌道上を飛行したマイケル・コリンズの3人の宇宙飛行士は地球に帰還しました。幸いにも用意された原稿が読まれることはありませんでした。
人類が月面着陸する8年前の1961(昭和36)年5月25日、ケネディ大統領が「至急の国家的要請」と題して、上下両院議会で有名なスピーチを行いました。
「私は、この60年代が終わるまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標を達成することに、我が国民が真剣に取り組むべきであると信ずるものであります(以下略)」
つまり人間を月に送り込み、生還させるという国家プロジェクトを発表したのです。
1960年代は米ソ冷戦時代で、このスピーチはどちらが先に月を手に入れるかという、ある意味、宇宙開発競争の開戦宣言でもありました。月は地球上のどこからでも見られる最も身近な星であり、ここに人を送って国旗を立てるということは分かりやすい国威発揚の舞台でした。
ソ連は月からの生中継を無視?
アームストロング船長とオルドリンが月面に降り立ち、最初に行ったのがテレビカメラの設置でした。月面活動の画像は地球にも中継され、約10億人が視聴したといわれます。今から55年前に月からの中継映像がリアルタイムで放送され、一般家庭のテレビで見られるということは驚異的なことでした。
中継方法は複雑で、画像はモノクロかつ不鮮明でしたが、オルドリンが後に、最も大切なミッションのひとつがテレビカメラの前でアメリカ国旗を掲揚することだったと語っているように、この映像は8年前のケネディ大統領の「至急の国家的要請」が達成された勝利宣言に最大限利用されました。ちなみにソ連中央テレビはこの時間、月からの中継映像ではなく『豚飼いと羊飼い』という映画を放映していました。月からの映像は録画で放映されました。
もし中継映像が月からではなく、ホワイトハウスのニクソン大統領の追悼スピーチだったとしたら、ソ連のテレビは間違いなく生中継していたでしょう。スピーチ内容はリスクと責任を認識し、犠牲を出しても計画を進めていく覚悟を示しており、月着陸の挑戦は続けられたでしょうが、成功してもアポロ11号のような熱狂的な効果は期待できそうにありません。
月面に設置した星条旗に敬礼するバズ・オルドリン(NASA / Neil A. Armstrong, Public domain, via Wikimedia Commons)。
宇宙開発競争は高いリスクを伴います。月面着陸の日までに亡くなった宇宙飛行士は米ソで18名とされます。
犠牲者は宇宙飛行士だけではありません。1960(昭和35)年10月24日にはソ連のバイコヌール宇宙基地で、R-16ロケットの試験中に軍高官を含む地上スタッフ100名以上(詳細不明)が亡くなる爆発事故も起きています。秘密主義時代のソ連ではもっと多くの事故があり、宇宙開発関係者が亡くなっているともいわれます。ほかに犬や猿など動物たちも宇宙開発に命をささげています。
再び人類は月へ降り立つか
アポロ15号は1971(昭和46)年8月1日、人類が月に達するまでの間に亡くなった宇宙飛行士たちを追悼する彫刻を月面に残してきました。その傍らには米8名とソ連6名の宇宙飛行士の名を刻んだ銘板も置かれています。
アポロ計画は当初、アポロ20号まで計画されていましたが、1972(昭和47)年12月11日に月面着陸したアポロ17号が最後になります。アポロ11号の頃の熱狂は消え失せ、米ソの関係もデタント(緊張緩和)時代に入ったことも関係しています。これ以降、月に人間は行っていません。
21世紀に入って月は新たなプレイヤーを迎えて再び競争の舞台になろうとしています。インドやイスラエルが探査機を送り込んでいますし、日本の月面探査機SLIMも話題になりました。
アポロ15号が月に残した追悼の彫刻(手前の銀色の人形)と亡くなった宇宙飛行士の名前を記した銘板(NASA. Public domain)。
とりわけ存在感を増しているのが中国です。無人探査車を送り込み、土壌採取して帰還するサンプルリターンにも成功しています。有人月着陸計画も持ち上がっており、中国では嫦娥(じょうが:月の女神の意)計画と呼ばれます。
アメリカのアルテミス計画は、2030年代の有人着陸を目標としていますが、すでに宇宙探査は無人機時代になっており、リスクを冒してまで人を月に送り込むことは、60年前と変わらぬ時代錯誤の国威発揚以上の意味はないと冷めた見方もあります。1969年7月18日に用意されたスピーチが、幻のままであることを願いたいものです。
今年の7月20日は、日本の月の出は18時22分、月齢は14.2。晴れていれば、満月に近い月が見えるでしょう(満月は月齢15)。