世界で初めて戦車を使用したのはイギリスです。ゆえに同国は「戦車の母国」と呼ばれることもありますが、戦車運用の試行錯誤から、「雄」型と「雌」型という2種類を生み出しました。どのようなものだったのでしょうか。
同一車体で武装が異なる2タイプ
生物でもない戦車に「オス」と「メス」があるとは、なかなか考えられないことかもしれませんが、戦車の黎明期にイギリスで、ごく短期間のみ存在しました。
イギリス ボービントン戦車博物館の館内に再現された第1次世界大戦の様子。塹壕を乗り越えようとするMk.I戦車(柘植優介撮影)。
戦車が初めて戦場に姿を現したのは、20世紀初頭に起きた第1次世界大戦でのことです。第1次世界大戦は1914(大正3)年7月から1918(大正7)年11月まで4年あまり続き、戦車は中盤の1916(大正5)年9月に起きたソンムの戦いで、初めてイギリス軍が実戦投入しました。
このときの戦車は塹壕突破用の秘密兵器として開発されたため、敵の強固な塹壕陣地を攻撃するために大砲を装備していました。この大砲は車体の左右に突き出た張り出し部、いわゆるスポンソンに搭載していましたが、可動範囲が狭く、攻め込んだ先で敵の歩兵などに砲の死角から攻撃される恐れもありました。
また大砲は発射速度が遅く、近距離戦闘には向いておらず、かつ初期のものは命中精度もあまりよくありませんでした。一方、機関銃は1発あたりの破壊力こそ大砲には劣りますが、連射でき、近距離戦闘では絶大な威力を発揮します。
そこで大砲に加え機関銃を自衛用として装備しましたが、大砲以上に可動範囲が狭かったため、大砲を降ろして武装をすべて機関銃にした戦車も作られました。
この大砲+機関銃を積んだ戦車と機関銃のみを積んだ戦車でチームを組み、共同行動をとらせる運用をイギリスは考えます。こうして前者を「雄(Male)」、機関銃のみを装備する後者を「雌(Female)」と呼んだことで、戦車に性別が生まれました。
「雌雄同体」戦車も登場
イギリスが第1次世界大戦に投入した戦車は、その形状から「菱形(ひしがた)戦車」と呼ばれ、Mk.Iから最終型のMk.Vまで5種類ありました。そして、そのすべてのタイプで雄と雌の両方が、おおむね2対3の割合で製作されます。
ボービントン戦車博物館でデモ走行するMk.IV戦車の雄型。青丸が大砲で、赤丸が機関銃。雌型は大砲部分も機関銃だった(柘植優介撮影)。
しかしそれ以降の戦車に、雌雄の別があるものは見られません。それは、フランスで全周旋回砲塔を搭載した戦車が開発されたからです。360度回る砲塔は、菱形戦車のようなスポンソンよりも、より広い範囲への射撃を可能にし、死角も激減しました。武装も左右別々に用意する必要がありません。この砲塔を載せるスタイルが、その後の戦車の世界標準になります。
さらに第1次世界大戦の戦訓から、大砲は小型化され、発射速度の速いものが用いられるようになりました。このため、砲と機関銃を様々な組み合わせ方で積めるようにもなりました。
これらの理由から、戦車を武装で2タイプ用意する必要はなくなります。戦車に「雄」と「雌」の区別があったのは、まさに黎明期の試行錯誤ゆえといえるでしょう。
ちなみに試行錯誤のなかでは、片側が雄で、もう一方が雌という「雌雄同体」も作られています。生まれた経緯は1918年4月下旬に起きた、史上初の戦車戦の戦訓からです。イギリス戦車とドイツ戦車が偶然、出くわしたことで発生したこの戦車戦において、機関銃しか装備していなかったイギリスの菱形戦車「雌」型は、ドイツ戦車を撃破できませんでした。
こうして作られた「雌雄」型ですが、敵戦車を撃破できるのは片面のみのため、使い勝手は推して知るべしです。これもまた黎明期ゆえといえるでしょう。