鉄道路線のうち、人間の盲腸のように短く、行き止まりとなった路線を「盲腸線」と呼ぶことがあります。首都圏でそれらを探すと、意外な誕生の経緯やその後の変遷が見られました。ここでは5つを紹介します。
何を指して「盲腸線」と呼ぶのか
「盲腸線」は鉄道ファン用語のひとつ。本線からちょっとはみ出した短い支線という意味です。由来は人間の「盲腸」で、医学的には「虫垂」が正しいそうです。腸から延びた行き止まりで、炎症を起こすとやっかい、切除しても問題ない臓器、という印象があります。盲腸線も短い行き止まり、一見赤字になりやすく、廃止されやすそうに思えます。
JR鶴見線の海芝浦駅(2009年、杉山淳一撮影)。
盲腸線に距離や駅数など明確な定義はありません。筆者(杉山淳一:鉄道ライター)の感覚では「駅数はひとつかふたつ、距離は5km未満」です。しかし、広い意味では「終点が行き止まりの路線すべて」を指す場合もあります。旧国鉄の経営合理化で廃止された赤字ローカル線の多くが盲腸線と呼ばれていました。
ともあれ、2020年現在も残っている盲腸線は、どのような理由で建設され、なぜ、現存しているのでしょうか。首都圏のそれらから、特徴的な5つの路線を紹介します。
東武鉄道 大師線
大師線は東京都足立区の西新井駅と大師前駅を結びます。東武伊勢崎線の支線で、距離はわずか1.0kmです。中間駅はありません。東武鉄道といえば、関東の大手私鉄で最大の路線網を持ちます。伊勢崎線は114.5km。それに対して大師線は短すぎます。これを走る列車は2両編成です。
大師線はもともと、もっと長い路線になる予定でした。東武伊勢崎線の西新井駅と、東武東上線の上板橋駅を結ぶ「西板線」です。東武鉄道はこの路線によって、分立している伊勢崎線系統と東上線系統を結ぶ予定でした。鉄道路線免許を1924(大正13)年に取得し、1931(昭和6)年に西新井~大師前間が開業します。
東武大師線大師前駅(2003年、杉山淳一撮影)。
しかし、想定ルート上には隅田川と荒川放水路(当時は建設中)があり、その鉄橋の建設にかかる資金調達が難題でした。さらに予定地の市街地化が進み土地の取得が困難という理由もあり、工事は進みません。その結果、先行開業区間だけが残り「大師線」と名前を変えて、西新井大師への参詣路線となりました。その後、沿線の宅地化が進み、いまでは通勤通学路線としても重要な路線です。
大師線は運賃支払い方法も特徴的です。大師前駅には改札口やきっぷ販売機がありません。大師前駅から乗る場合は、ひとまず電車に乗って西新井駅できっぷを買うか、乗り換え改札にタッチします。つまり後払い方式です。西新井から大師前へ行くときは、連絡改札口でタッチまたはきっぷを買います。
東急電鉄 こどもの国線
こどもの国線は、神奈川県横浜市の長津田駅とこどもの国駅を結びます。距離は3.4km。中間駅はひとつ、恩田駅があります。長津田駅は東急田園都市線とJR横浜線が乗り入れており、こどもの国線は田園都市線の支線のように見えます。田園都市線を10両編成の列車が次々に往来する一方で、こどもの国線は2両編成です。最近は、車体をラッピングした「うし電車」「ひつじ電車」が話題になりました。
こどもの国線は児童厚生施設「こどもの国」へのアクセス路線として1967(昭和42)年に開業しました。しかし、線路は1938(昭和13)年頃までに建設されていたようです。この路線は旧日本軍の田奈弾薬庫と鉄道院の横浜線を結んでいました。戦後、田奈弾薬庫と線路施設は米軍の管理下になりました。
1959(昭和34)年に当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)が成婚され、これを記念して「こどもの国」の建設が決まると、1961(昭和36)年に米軍から土地の返還を受けます。「こどもの国」は1965(昭和40)年に開園。長津田~田奈弾薬庫間の軍用路線は整備され、こどもの国線になりました。小田急小田原線の鶴川駅や玉川学園前駅への延伸計画もあったようですが実現に至りません。
東急こどもの国線を走る、横浜高速鉄道Y000系電車(2020年、杉山淳一撮影)。
こどもの国線は開業当初から現在まで、東急電鉄の路線として扱われています。しかし、当初は社会福祉法人「こどもの国協会」が保有し、東急電鉄に運行と営業を委託していました。また、東急電鉄は現在の恩田駅付近に車両工場を建設し、車両の整備、改造などを行っていました。
多摩田園都市の発展により、こどもの国線の沿線も宅地開発が進みました。そこで線路施設はこどもの国協会から横浜高速鉄道へ譲渡され、恩田駅を新設し、2000(平成12)年に通勤路線としてリニューアルされました。長津田駅のこどもの国線乗り場に改札はなく、恩田駅またはこどもの国駅で運賃を精算します。上述した東武大師線の逆パターンです。
西武鉄道 豊島線
豊島線は東京都練馬区の練馬駅と豊島園駅を結びます。距離は2km、中間駅はありません。「としまえん」のアクセス路線として親しまれています。「としまえん」はそもそも、室町時代の練馬城跡を中心に作られた景勝地で、1926(大正15)年に開園し、のちに遊園地として発展します。そのアクセス路線として、西武鉄道の前身、武蔵野鉄道が豊島線を建設、開業しました。
西武豊島線の終点、豊島園駅(画像:写真AC)。
豊島線も沿線の宅地化が進み、現在は通勤通学路線としても重要な路線です。ほとんどの列車が西武池袋線と直通運転を実施しています。豊島線は全線単線ですが、電車は8両編成です。延伸計画もなかったようでした。
「としまえん」の敷地については、東京都が防災拠点を兼ねた「練馬城址公園」として整備するという都市計画を持っています。一部は人気映画のテーマパークになるという報道もありました。しかし正式な決定ではないようです。これらの構想が現実になったとしても、豊島線の重要性は変わらないでしょう。
京成電鉄 金町線
金町線は東京都葛飾区の京成高砂駅と京成金町駅を結びます。距離は2.5km、中間に柴又駅があります。
柴又駅周辺や帝釈天は、国民的映画『男はつらいよ』シリーズの舞台となったところ。柴又駅前には映画の主人公で渥美 清が演じた「寅さん」の像と、その妹で倍賞千恵子が演じた「さくら」の像があります。劇中に柴又駅や京成電車が登場しました。現在もロケ地巡りで訪れる観光客が多く、もっとも国民に親しまれた盲腸線といえそうです。
『男はつらいよ』シリーズの舞台となった柴又駅前には、「寅さん像」がある(2003年、杉山淳一撮影)。
盲腸線の多くは本線から分岐する形で建設されます。しかし、金町線は末端の金町~柴又間が帝釈人車鉄道として先に開業していました。6人乗りの客車だったそうです。日本鉄道線(現・JR常磐線)の金町駅から帝釈天へ参詣する人を乗せていました。この路線を買収した会社が京成電鉄です。
京成電鉄は押上~曲金(現・京成高砂)~柴又間を開業し、買収済みだった柴又~金町間の人車軌道を改修して既存区間に組み込みます。金町線は盲腸線に見える支線ですが、実は京成電鉄のルーツといえる路線です。
JR鶴見線
鶴見線は神奈川県横浜市の鶴見駅と同川崎市の扇町駅を結ぶ路線です。京浜工業地帯を走る路線で、距離は7km。この路線自体も盲腸線のように短い路線です。しかし、鶴見線にはさらに短い支線があります。海芝浦支線と大川支線です。盲腸の先にふたつの盲腸があるような……。
JR鶴見線の路線図(国土地理院の地図を加工)。
海芝浦支線は浅野駅と海芝浦駅を結びます。路線距離は1.7km、中間に新芝浦駅があります。大川支線は武蔵白石駅と大川駅を結ぶ1.0km。中間駅はありません。また、武蔵白石駅に大川支線のプラットホームはありません。大川駅へは、ひとつ鶴見駅寄りの安善駅で乗り換えます。また、海芝浦支線、大川支線とも、鶴見線本線と直通し、鶴見駅発着です。
海芝浦駅は「改札口から出られない駅」として鉄道ファンのあいだで有名です。駅が東芝の工場敷地内にあり、そして工場敷地は関係者以外、立ち入り禁止です。訪問しても、そのまま折り返すしかありません。プラットホームにSuicaの改札機があるので、そこにタッチして精算します。プラットホームから眺める京浜運河やつばさ橋の眺めが良いと評判で、その景色を見物するために訪れる人もいます。そこで、東芝が駅に隣接した場所に「海芝公園」を設置、駅を出て景色を楽しめるようになりました。
「盲腸線」は蔑称か愛称か?
人間の虫垂は「炎症を起こしたらやっかいな無用の臓器」と思われがちです。しかし、現在は腸内細菌のうち善玉菌を備蓄し、腸の調子を整える重要な役割があると認知されています。鉄道の盲腸線はどうでしょう。上に挙げた5つの路線はどれも通勤通学や観光などで重要な役割を持っています。かつて盲腸線は蔑称のように思われたかもしれません。しかし、むしろ重要で気になる存在だから通称として存続としているとも考えられます。いまや「盲腸線」は蔑称ではなく愛称といってもいいでしょう。
短い路線ですが、乗ってみると「終着駅に来た」という達成感があります。休日のお出かけ目的地の候補に加えてもよいかもしれません。
※誤字を修正しました(5月30日19時00分)。