飛行機を発明したのはライト兄弟ですが、それではヘリコプターを発明したのは誰でしょうか。実はレオナルド・ダ・ヴィンチではありません。飛行機が初飛行から120年経っているのに対して、回転翼機の歴史はずっと浅いようです。
ヘリコプターの原理自体は飛行機よりも先
人類は、その誕生からはるか20万年ものあいだ、鳥のように空を自由に翔けることを夢見てきました。ただ、その夢が実現したのはたかだか100年ほど前です。
飛行機の発明は1903年のこと。ウィルバー・ライトとオービル・ライトという2人の天才、有名なライト兄弟によって成し遂げられました。彼らは、人類史上初めて動力飛行に成功し、空の旅という新たな時代を切り開いたのです。
一方、ヘリコプターの発明史は、飛行機とは対照的に複雑で、いまだ謎に包まれた部分も多いようです。「自分はヘリコプターのライト兄弟である」と自称する発明家たちは複数存在するものの、単独の発明家によって生み出されたというよりは、多くの先駆者たちのたゆまぬ努力と挑戦の結果、今日のヘリコプターが形作られたと言えるでしょう。
過去の陸上自衛隊イベントで公開された特別塗装のヘリコプター。写真はイメージ(柘植優介撮影)。
ヘリコプターの原理自体は古く、15世紀にはイタリアの天才レオナルド・ダ・ヴィンチがスケッチを残していますし、ヘリコプターという名前自体も、それが実際に登場するはるか以前から存在しました。しかし、実際に飛行可能なヘリコプターの開発は、20世紀に入ってからようやく本格化しています。
何をもってライト兄弟に匹敵しうる成功と見なすかには諸説ありますが、空中に静止する「ホバリング」を行うだけでも、初期のヘリコプターはどれも絶望的にエンジン出力が不足しており、飛行と呼べるだけのアクションを行うには困難を極めました。
これ「初飛行」と言えるのか?
フランスの航空パイオニアであるポール・コルニュは1907年、世界で初めて有人ヘリコプターの飛行に成功したと主張していますが、その飛行時間はほんの少しだけで、「ジャンプ」しただけに過ぎなかったとされます。また、ほぼ同時期にホバリングに成功したと主張する、同じくフランス人のルイ・ブレゲーとシャルル・リシェが共同開発したヘリコプターも、機体を支えていた人員が持ち上げたとされます。
コルニュにしろ、ブレゲーとリシュのヘリコプターにしろ、どちらも写真など決定的な証拠は残されておらず、かつ計算上、搭載されていたエンジンでは飛行できないと結論付けられていることもあり、世界で初めてホバリングしたというには両者とも説得力を欠いています。
ポール・コルニュのヘリコプター。本人が主張するところによると史上始めてホバリングに成功したヘリコプター(関 賢太郎撮影)。
また、エンジンの出力不足が解決された後も、ヘリコプターには非常に不安定という絶望的な問題が立ちふさがります。いざ離陸しようとすると、回転するローターブレードが生み出す強大な力で機体はねじれ、大きな振動を引き起こし、暴れ馬のように機体を地面に打ち付けようとするのです。
ただジャンプするだけではなく、自由に空中を飛行し何かの目的を果たせる機体を求め、さらに数十年ものあいだ、様々な挑戦と失敗が繰り返されました。みな、飛行できる原理はわかっているのに、制御できない状況でした。
1930年代にようやくモノに
初めて完全に制御されたヘリコプターの先駆けとなる機体が登場したのは1936年のこと。ドイツのハインリヒ・フォッケとゲルト・アハゲリスによって開発されたFw61です。
また、Fw61のデモフライトを見学していたロシア系アメリカ人のイゴール・シコルスキーは、1939年に1つのメインローターと、反作用トルクを打ち消すテールローターという現在のヘリコプターの元祖ともいえる設計をもったVS-300を開発します。こうして、ヘリコプターはようやく何かに供する目的を果たせる乗りものとして、そのスタートラインに立つことができるようになりました。
はじめての飛行制御可能なヘリコプターと言えるFw61。最初の「ジャンプ」から約30年もの歳月を必要とした(パブリックドメイン)。
シコルスキーは、ヘリコプターが人類の生活を一変させると信じていました。自動車はヘリコプターに取って代わられ、何百万人もの人々が朝には空を飛んで出勤し、夕方には同じようにして家へと帰る。そして休日には空でレジャーを楽しみ、人々は鳥になる喜びを知るだろうと考えていました。
残念ながら、シコルスキーの夢みた誰もがヘリコプターで気軽に空を飛ぶ時代は、VS-300が誕生してから100年経った現在も実現しておらず、その兆しも当面考えられそうにありません。
しかし、ヘリコプターのパイオニアたちが失敗を恐れず挑戦し成し遂げた偉業は、産業や人命救助、または軍用としてヘリコプターが不動の地位を得るに至っています。