筆者が以前、歯科医院に行ったとき、待合室で幼稚園の年長ぐらい(5~6歳)の男の子が「もう帰りたい。もうずっと待っている。帰って遊びたい。おなかペコペコ。帰ってご飯食べたい。もう帰りたい」といった様子でむずかっていました。すると、母親は「何言ってるの? 帰れるわけないでしょ。あなたの歯のために来ているのよ。わがまま言っちゃダメ!」と、その子を叱りました。男の子はもっと激しくむずかりだして、母親がもっと厳しく叱るという悪循環に陥りました。
分かってもらえれば諦める
子育て中の人なら、誰でもこのような経験があると思います。こういうときはどうしたらいいのでしょうか。筆者がおすすめしたいのは、まず、次のように言ってみることです。
「本当だよね。もう何時間も待っているね。帰りたいよね。ママもおなかペコペコだよ。帰ってご飯食べたいね」
このように言ってもらえると、子どもは「ママも帰りたいんだ。ママもおなかペコペコなんだ。僕の気持ちを分かってもらえた。ああ、よかった」と感じるはずです。そうすることで、子どもは「じゃあ、もうちょっと我慢してみようかな」と考える可能性が高まります。
もちろん、絶対にそうなるとは言い切れませんが、このような場合、子どもも無理なことはうすうす分かっていて、「言っても仕方がないけど言ってみたい。無理だと分かっているけど、言わずにいられない」と感じていることが多いので、帰りたい気持ちを分かってもらえたことで諦めがつきやすくなるのです。
とはいえ、先述の歯科医院の事例の場合、母親が「本当にそうだよね。もう帰ろう」と言って、子どもと一緒に帰ってしまってはいけません。それはもう共感ではなく、安易な同調です。「和して同ぜず」の対応が大事であり、共感と安易な同調は区別する必要があります。
「そうだね。帰りたいね」と共感しつつも、通すべきところは通さないとどうしようもないこともあるわけです。そういうときは「そうだね。そうだね」とたくさん共感してから、「でもね…」と言うようにしましょう。つまり、「イエス・イエス・バット法」です。「イエス・バット(そうですね。でも…)」という言葉がありますが、それではイエスが少ないので、もう少し共感を増やして、「イエス・イエス・バット」というわけです。
別の例を挙げます。公園に面白そうな遊具があって、子どもが「これで遊びたい」と言ったとします。よく見ると、その遊具には「小学3年生から遊べます」という張り紙が掲示されていました。子どもはまだ2年生です。こういうとき、どうしたらいいのでしょうか。
もし、親が「遊べないよ。3年生からって書いてあるでしょ。わがまま言わないの」と答えたとしたら、子どもに対する共感力はゼロです。こういう門前払いの対応が多いと、子どもは欲求不満がたまる上に「どうせ何を言っても無駄だ。僕のことなんかどうでもいいんだ」と感じて、親に対する不信感も募ります。
では、「遊びたいよね。面白そうだもんね。いいよ。遊んじゃえ。あなたは体も大きいし、どうせバレないから大丈夫だよ」などと言って、遊ばせたとしたらどうでしょうか。子どもにルール破りを教えているようなものですから、当然よくありません。これは共感ではなく、安易な同調です。
こういうときは「遊びたいよね。面白そうだものね」と共感しつつも、「でも、今は2年生だから遊べないよ」と諭して、遊ばせてはいけないのです。つまり、先述のイエス・イエス・バット法です。そして、子どもを諭した後は「来年になったら遊べるよ。早く来年になるといいね」「あ、あそこにも面白そうな遊具がある」「帰りに○○で大好きなバナナジュース買おうか」などと言ってみましょう。そうすれば、子どもの気持ちが切り替わる可能性が高まります。
もちろん、100パーセントではありませんが、遊びたい気持ちを分かってもらえたことで、ある程度、気持ちが満たされて、諦めがつきやすくなるのです。親が子どもの気持ちに全く共感することなく、門前払いしてしまうことが多いと、子どもはだんだん、親の愛情を疑うようになります。まずはとにかく、「そうだね、そうだね(イエス・イエス)」と子どもの話を共感的に聞いてあげてほしいと思います。
その上で、願いをかなえてあげられないときは「でもね(バット)」と言うようにしましょう。そうすれば、子どもは親を信頼して、その話に耳を傾けるようになります。
教育評論家 親野智可等