世界最大の戦艦である旧日本海軍の大和型。しかし第2次大戦が始まる前、1930年代前半まで世界最大だったのはイギリス海軍の「フッド」でした。イギリスの象徴でもあった「フッド」が生まれた経緯と、一瞬にして沈んだ理由を探ります。
「北大西洋のライバル」独戦艦に対抗すべく誕生
2021年5月は、イギリスとドイツの戦艦同士が砲火を交えた「デンマーク海峡海戦」が起きてからちょうど80年でした。デンマーク海峡海戦ではドイツ戦艦「ビスマルク」の奮戦が比較的知られていますが、そのビスマルクに比肩する威容を誇りながら、その「ビスマルク」と撃ち合った結果、一瞬にして波間に沈んでしまった艦がありました。それがイギリス巡洋戦艦「フッド」です。
なぜ「フッド」はそこまであっけなかったのか、大英帝国の象徴としてイギリス国民に愛された“スタイリッシュ戦艦”の誕生から終焉までを見てみます。
1924年当時のイギリス巡洋戦艦「フッド」(画像:アメリカ海軍)
「フッド」が設計される前、1910年代初頭に、当時イギリス海軍トップ(最高位)であった第1海軍卿(他国でいうところの最高司令官や参謀総長に相当)フィッシャー提督は、「高速力こそが最高最良の防御手段である」という自身の発想に基づき、装甲巡洋艦をベースにしたとある新艦種を考え出します。
それは、戦艦と同威力の主砲を同数装備する一方、スピードを重視して防御力はあえて限定して装甲を削減し重量を軽くすることで、戦艦に対して火力は同等であるものの速度は上回っているという艦種です。
こうすることにより、遅い戦艦に対しては、こちらの都合で交戦したり離脱したりすることが可能になるため、戦いのイニシアチブを握ることができる優秀な戦闘艦となりえるのではないかと考えたのです。なお、脚の速さでは巡洋艦が同格となりますが、それに対しては火力が上回るため、戦いで圧倒できるという算段です。
この新しい艦種には、やはり新たに考案された「巡洋戦艦(Battle Cruiser)」という種別が与えられました。
このような思想に基づきイギリス海軍は、複数のクラスの巡洋戦艦を就役させます。結果、第1次世界大戦初期のフォークランド沖海戦において、自軍の巡洋戦艦がドイツの装甲巡洋艦と交戦して圧勝し、巡洋戦艦という艦種の優位性を証明しました。
「世界でもっとも美しい軍艦」の誕生
ところが、第1次世界大戦における最大の艦隊決戦となったユトランド沖海戦では、「インヴィンシブル」「インディファデガブル」「クイーン・メリー」というイギリス巡洋戦艦3隻が一挙に轟沈してしまいます。原因は、主砲の発射速度を上げるべく、弾火薬庫の防火扉を開放したまま交戦していたのではないかといった運用上の不手際もありましたが、それに加えて、「装甲防御の限定」という脆弱性の弊害が表面化したものでした。
1924年時のイギリス巡洋戦艦「フッド」。当時世界最大の軍艦で、旧日本海軍の戦艦「長門」「陸奥」よりも大きかった(画像:アメリカ海軍)
当時、ドイツ海軍は強力な巡洋戦艦であるマッケンゼン級4隻の建造に着手しており、イギリス海軍も、これに対抗すべくフッド級巡洋戦艦4隻の建造を進めます。
ところが、1番艦「フッド」が起工される約3か月前に前述のユトランド沖海戦が起こったため、急きょ、防御力不足を始めとした戦訓を同艦に反映させることに。ただ、対抗相手として想定していたドイツのマッケンゼン級巡洋戦艦は、第1次世界大戦中には就役しないと判断されたことで、結果、本級は起工済みであった「フッド」1艦のみの建造にとどめられ、2番艦から4番艦までの3隻はキャンセルされてしまったのです。
かくして、装甲防御力を中心として設計に手が加えられ、巡洋戦艦というよりも“高速戦艦”とでもいうべき陣容となった「フッド」は、第1次世界大戦後の1920(大正9)年5月15日に就役しました。
当初、約3万6000tの排水量で設計されていた「フッド」でしたが、設計変更の結果、完成時には全長約262m、排水量約4万2600tという空前の巨艦に生まれ変わっていました。そのため、のちに「運命の好敵手」となるドイツ戦艦「ビスマルク」が完成するまで、「フッド」は世界最大の戦艦でした。
世界的に名の通ったジェーン軍艦年鑑の編集者であるオスカー・パークスは、「フッド」を“世界でもっとも美しい軍艦”と評したといいます。巨艦であると同時に美しいシルエットを備えた同艦は、実戦こそ経験していませんが、戦間期のイギリスが誇る名艦として「マイティ・フッド(偉大なるフッド)」のあだ名で呼ばれたりもしました。
一瞬で爆沈した「フッド」の悲劇
ところが、このイギリスの誇りともいえる「フッド」を無情な惨劇が襲います。それが冒頭に記したデンマーク海峡海戦での轟沈でした。
1941(昭和16)年5月23日にドイツの最新鋭戦艦「ビスマルク」との間で戦われたこの戦いにおいて、「フッド」は戦闘開始からわずか8分後の被弾で大爆発を起こし、一瞬のうちに沈んでしまったのです。約1420名の乗組員中、生存者はたったの3名でした。
1924年、カナダのバンクーバーに寄港した際のイギリス巡洋戦艦「フッド」(画像:バンクーバー公文書館)
この「フッド」の轟沈について、以前は大落角で命中したビスマルクの38cm主砲弾が、「フッド」も含むイギリス巡洋戦艦に共通の弱点である水平面の薄い装甲を貫通し、後部15インチ主砲弾の弾火薬庫を直撃し、そこにあった砲弾や発射薬を誘爆させた結果といわれていました。
しかし最近の研究では、「フッド」と「ビスマルク」が撃ち合った距離は比較的近かったことから、大落角弾は生じないと見なされるようになってきています。そのため、舷側装甲を貫通した「ビスマルク」の38cm主砲弾が、まず「フッド」の4インチ高角砲(高射砲)の弾薬庫を爆発させ、それが後部15インチ主砲弾の弾火薬庫誘爆の引き金となって同艦を一瞬にして爆沈させた、という説が主流となっています。
なお、イギリス海軍は第2次世界大戦の開戦時、「フッド」「レパルス」「レナウン」という3隻の巡洋戦艦を擁していました。しかしそのうち、1945(昭和20)年の終戦まで生き残ったのは「レナウン」ただ1隻。
日本軍の航空攻撃で沈んだ「レパルス」は別として、巡洋戦艦発祥の国であるイギリスの巡洋戦艦には、第1次世界大戦時の「ユトランド沖海戦の悲劇」以来、砲戦下の轟沈という呪いでもかかったかのような「フッド」の最期でした。
※一部修正しました(8月1日12時14分)。