軍艦では「ロナルド・レーガン」や「クイーン・エリザベス」など、その国の元首の名前を付けることがありますが、戦車ではあまり例がありません。数少ない、自国指導者の名が付与された2種類の戦車について見てみます。
戦車の型式にまでなった「スターリン」
M48「パットン」戦車やM1「エイブラムス」戦車など、著名な軍人の名を冠した戦車はいくつかありますが、自国リーダーの名前を付けたのは、ソ連の「スターリン」重戦車や、イギリスの「チャーチル」歩兵戦車ぐらいしかありません。
このふたつは、名称由来の人物が存命中に生産および運用されており、その点においても冒頭のアメリカ製戦車などとは一線を画しています。名称由来の人物が死後、その功績や栄誉を称える意味でつけられたものではありません。どのような経緯で命名されたのでしょうか。
イギリスの「チャーチル」歩兵戦車(柘植優介撮影)。
ソ連の「スターリン」重戦車は、1車種に付けられた愛称ではありません。IS(IS-1)、IS-2、IS-3などの一連のIS戦車シリーズの通称です。このISという型式が「ヨシフ・スターリン」の名前を基にしたものでした。
そもそも、ISシリーズの重戦車が開発される前、ソ連にはKB-1/-2重戦車がありました。このKB(英語ではKV)というのも人名で、当時のソ連国防大臣であるクリメント・ヴォロシーロフにちなんだ型式であり、この前例があったからこそ、より強力な重戦車が完成した際に、「スターリン」の名を冠したといわれています。
スターリン死去で重戦車の名称まで方針転換
重戦車の型式名をISにすることは第2次世界大戦後も続き、IS-6やIS-7などが開発されています。これらは技術的な問題から試作で終わりましたが、その次に開発されたIS-8は正式採用され、量産の準備が進められました。
ソ連のIS-3「スターリン」重戦車(柘植優介撮影)。
しかし生産を開始する直前の1953(昭和28)年3月5日、スターリンが死去します。彼のあとを継いでソ連のトップになったニキータ・フルシチョフは、脱スターリン化を進め、IS-8の名称も見直しました。
なお、このときにフルシチョフの名前から「HX-1」に改名する案も挙がったそうですが、その提案はフルシチョフ自身が拒否し、最終的にロシア語で重戦車を意味する単語を基に「T-10」と名付けられています。
その後、改良型のT-10Mなども登場しましたが、中戦車の発展や、重戦車自体の戦略的価値の低下などにより、新たな重戦車の開発が中止されたため、T-10/10Mはソ連最後の重戦車となりました。
戦車にとどまらず軍艦にも付与された「チャーチル」の名
一方、イギリスで開発された「チャーチル」歩兵戦車は、IS重戦車シリーズとは異なりA22という型式を持ち、「チャーチル」というのは、まさにこの戦車だけを示す愛称として名付けられました。
イギリス首相チャーチルにちなんで命名されたアメリカ海軍のアーレイバーク級イージス駆逐艦31番艦「ウィンストン・S・チャーチル」(画像:アメリカ海軍)。
A22「チャーチル」歩兵戦車は1939(昭和14)年、第2次世界大戦の勃発とともに開発が始まった戦車です。採用までに様々な問題があったものの、改良を加えることで乗り越えました。その際、同車は優秀だから生産を最優先せよと指示を出したのが、時のイギリス首相チャーチルだったため、その後押しへの感謝を示す意味合いから、技術者たちがA22歩兵戦車に「チャーチル」という愛称を付けたといわれています。
こうして比べてみると、「スターリン」と「チャーチル」のふたつの戦車は、ともに第2次世界大戦中に母国のトップの名を付けた車体ながら、命名に至る経緯はかなり異なるようです。簡単にいうと、前者は威厳を示すためのトップダウン、後者は敬意をこめたボトムアップといったところでしょうか。
実際、「チャーチル」の名は、その後もイギリス海軍の原子力潜水艦やアメリカ海軍のイージス駆逐艦などにも命名されています。一方、「スターリン」の名は、兵器に関しては戦車以外に付けられることはありませんでした。