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旧海軍「航空魚雷」秘密のパーツはベニヤ製!? 米軍驚愕の高速雷撃はどう実現したのか

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現代では姿を消した兵器のひとつ「航空魚雷」は、WW2期までは文字通り先端技術の結晶です。旧日本海軍においても実用化は相応の困難をともなうものでしたが、その一端を担ったのは、ベニヤ製のごく簡単な構造のパーツでした。

精密機器たる「魚雷」を空から放り込む「航空魚雷」なる兵器

 1940(昭和15)年10月に横浜沖で「紀元二六〇〇年記念特別観艦式」が実施され、その中の海軍大演習で、九六式陸上攻撃機が編隊を組んで雷撃戦展示を行いました。これを戦艦「長門」から見た連合艦隊司令部以下の幕僚は、「長門」でも逃げ切れないと感じたといいます。航空戦力の増強を推進していた山本五十六司令長官は内心ほくそ笑んでいたでしょう。

 現代では「雷撃機」というカテゴリーは姿を消しましたが、第2次世界大戦までは対艦攻撃の花形でした。日本海軍の航空魚雷研究への取り組みは早く、ユニークな工夫で高い効果を上げました。代表的なのが「安定器付き九一式航空魚雷改2」で、高性能を発揮できたその秘密は、ベニヤ板でできた簡単な構造のパーツでした。

Large 220914 ita 01雷撃は対艦攻撃の花形。珊瑚海海戦で空母「瑞鶴」から九一式航空魚雷を抱えて離艦する九七式艦攻。

「航空魚雷」の着想は飛行機の黎明期まで遡ります。ライト兄弟の動力飛行機が初飛行したのは1903(明治36)年のことですが、わずか6年後の1909(明治42)年には早くもイギリス海軍が水上機に魚雷を載せることを研究しています。1912(明治45/大正元)年にはアメリカ海軍の軍人が、魚雷を爆撃機から投下して対艦攻撃する戦術を発案し特許を取りました。1915(大正4)年に最初の雷撃用水上機ショート・タイプ184が初飛行し、その前年から始まっていた第1次世界大戦では水上機による雷撃が行われ戦果も挙げています。

Large 220914 ita 02世界で最初に量産された雷撃機ショート184水上機。

 航空魚雷はアイデアとしては画期的でしたが、水中を安定して真直ぐ航走するための制御システムにプラスして、航空機から投下されて着水するまでのあいだは弾道を描いて空中を飛翔するため、空気力学まで考慮しなければならないのが難問でした。加えて魚雷は、ジャイロを組み込んだ安定器など細かな調整を必要とする機械式時計のような精密機械でもあり、着水の強い衝撃で壊れてしまうこともあって、各国では試行錯誤が繰り返されました。

「航空魚雷」のなにがそれほど難しかったのか

 日本海軍はこの航空魚雷への取組みを、1914(大正3)年に呉の海軍工廠で、クレーンに吊るした魚雷を海面に落下させるという実験から始めています。1915(大正4)年には100馬力のモーリス・ファルマン水上機に重さ約330kgの36センチ魚雷を積んで飛行実験を行いましたが、離水するのがやっとという状態でした。

 それでも航空機の発達は早く、1922(大正11)年には日本初の雷撃機で、重さ約550kgの18インチ魚雷を搭載できる「十年式艦上雷撃機」が完成します。十年式は揚力を稼ぎつつも狭い空母で場所を取らないように、主翼が3枚という珍しい三葉式を採用しました。しかし単座であるなど使い勝手が悪く生産は20機で終わり、後継の「一三式艦上攻撃機」に引き継がれます。

Large 220914 ita 03国産で何とか実用の域に達した三葉式の十年式艦上雷撃機。扱いづらい機体で少数の生産に留まった。

 その後、雷撃機は高性能になり大馬力高速化しますが、雷撃するには逆になるべく低速、低高度で投下した方が命中率は高くなるという、相反する要素をいかに統合するかが課題でした。海面の状態は凪から荒天まで様々で、魚雷の定針を確保するのも難題です。これらを解決するには航空魚雷の技術革新も必要だったのです。

 1935(昭和10)年末以降、横須賀海軍航空隊(横空)雷撃班では、空技廠と共同で魚雷発射実験を繰り返していました。そうしたなか1936年から1937年ごろ、前述したベニヤ製パーツ「框板(かまちいた)」が開発されます。

ごく簡単な構造の木製パーツがもたらした技術的ブレークスルー

「框板」は航空魚雷の空中姿勢を安定させる、脱落式の木製尾翼です。300km/h以上の速度で魚雷を投下しても尾部の「框板」により空中姿勢は安定し、しかも着水の衝撃で框板は脱落するため、魚雷の航走に影響しません。構造は簡単ながらよく機能し、雷撃機が旋回中でも、降下中でも、上昇中でも魚雷の投下が可能になりました。

Large 220914 ita 04脱落式木製尾翼「框板」(画像:Binksternet、CC BY-SA 3.0〈https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0〉、via Wikimedia Commons)。

 さらに投下時にロール(縦軸回転)することを抑制するため、魚雷の側面にも機械制御式の小さな安定翼を付け、これが着水時に脱落し抵抗となって沈降深度を抑えることもできました。

 これらの工夫で魚雷の定針精度はずっと向上し、荒れた海上を全速力で航行する艦船などへの雷撃や、水深の浅い海での雷撃も可能になりました。これが「安定器付き九一式航空魚雷改2」です。水深の浅い真珠湾で威力を発揮した日本海軍の切り札であり、生産にこぎ着けたのは1941(昭和16)年8月のことで、12月8日の真珠湾攻撃に間に合うギリギリのタイミングでした。

 この脱落式木製尾翼「框板」は、アメリカ海軍には無かった発想でした。1942(昭和17)年5月8日の珊瑚海海戦で空母「レキシントン」のフレデリック・C・シャーマン艦長は、九七式艦上攻撃機が従来の雷撃機ではできなかった400km/hに近い高速で雷撃してきたことに驚き、撃墜した九七式に搭載された魚雷の尾部がなにか箱型のもので覆われていたのを視認して、これが高速でも安定して雷撃できる機構ではないかということを報告しています。

Large 220914 ita 05空中姿勢安定板(框板)も改良が加えられ、いくつかの形式があった。1944年の艦攻「流星」に装備された九一式航空魚雷。

 九一式航空魚雷は画期的な対艦攻撃手段でしたが、九七式艦上攻撃機が1機7万円の当時、九一式航空魚雷は1本2万円という非常に高価で貴重な兵器でした。重い魚雷を抱えた雷撃機は敵戦闘機に見つかれば逃げ切れず、雷撃時には低空を一直線に飛行するため敵艦の対空砲火には恰好の標的となりました。雷撃機は対艦攻撃の花形であったものの、その運用および戦果は高い犠牲と引き換えのものであり、戦争末期の日本海軍雷撃隊の損耗率は壊滅的でした。

 長い苦労と多くの工夫が凝縮され、余多の戦果と犠牲を出した日本海軍の航空魚雷ですが、戦後は対艦ミサイルにすっかり取って代わられました。

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