一般的に大都会と思われがちな地下鉄の駅前ですが、中には思わぬ光景が待ち受けていることも。都会らしからぬその駅前風景には、それぞれの背景があります。
「大都会を走る地下鉄」イメージ崩れる駅前風景
日本の地下鉄は一般的に、政令指定都市など「大都会」にあると言えるでしょう。階段を上り地上に出ると、目の前にはビルやマンション、商業施設が立ち並ぶ……といった風景を思い浮かべるかもしれません。しかし中には、驚くべき立地にある地下鉄の駅があります。
八尾南駅(大阪メトロ谷町線)
八尾南駅は谷町線の終点として1980(昭和55)年に開業しました。谷町線唯一の地上駅で、車庫が併設されています。
荒涼とした風景の八尾南駅北口(乗りものニュース編集部撮影)。
駅施設は橋上駅舎を兼ねた4階建ての立派な駅ビルですが、駅の北側はフェンスに囲まれた空間が広がり、家屋やビルはおろか、樹木も周囲に存在しません。団地に向かう細い通路が伸びるだけで、一帯は荒涼とした雰囲気です。
この空地にはかつて、八尾空港の駐機場がありました。日本初の民間飛行場として利用されましたが、1984(昭和59)年に現在のターミナルへ機能を移行し使用中止。それ以降、跡地は再開発されることなく、旧滑走路のコンクリート舗装がむき出しの殺風景な状態になっています。
小竹向原駅(東京メトロ有楽町線、副都心線、西武有楽町線)
小竹向原駅は、池袋方面からの東京メトロ2路線が、それぞれ和光市駅を経て東武東上線方面、または練馬駅を経て西武池袋線方面へと分岐していく、一大ジャンクション駅です。
しかしこの駅で下車し、2番出口から地上に出るとびっくり。住宅地が広がり、遊歩道が目の前を抜ける静かな光景で、「駅前」の賑わいはどこにも感じられません。鉄道路線の重要拠点という性格と、駅周辺とのギャップに戸惑います。
こんな光景が見られる理由は、地下鉄の上を通る都道「要町通り」が、駅周辺でトンネルとなっているためです。トンネルの真上は小学校の敷地になっており、2番出口の周囲には生活道路しかなく、目に入る商業施設はコンビニ程度です。2番出口と反対側の3番、4番出口は地上区間の要町通りに面しており、幾分は「駅前らしい」といえます。
「何もない」にはワケがある
他にも「これが地下鉄の駅!?」と驚いてしまう、大都市の風景とは思えない駅もありますが、実は明確な理由があってそうなっているところもあります。
舞岡駅(横浜市営地下鉄ブルーライン)
地形の起伏が激しい横浜市を、あざみ野駅から湘南台駅まで結んでいく横浜市営地下鉄ブルーライン。その中で、戸塚駅の隣にある舞岡駅の駅前風景は、地下鉄の駅前の一般的イメージとは異なります。
舞岡駅の周辺(乗りものニュース編集部撮影)。
周囲は見渡す限りの山林や畑。「うさぎ追いしかの山」の童謡を彷彿させる田園風景で、駅前徒歩1分圏内には「いちご狩り」のビニールハウスも。
都市開発から完全に取り残されているように見える舞岡駅周辺ですが、こうなったのはれっきとした理由があります。それは、一帯が都市計画法で定める「市街化調整区域」に指定されているからです。
市街化調整区域では、農産物直売所など一部の例外を除き、土地の改変や建築物の設置などの開発行為はできません。これは、土地の無秩序な開発によって自然が失われていく「スプロール現象」を防ぐため、自治体の政策により指定されるものです。
舞岡駅の「のどかな風景」は、決して見捨てられた結果なのではなく、法律によって大切に守られてきた、都市部に残る日本の原風景と言えるかもしれません。
真駒内駅(札幌市営地下鉄南北線)
札幌市営地下鉄として最初に開業した南北線は、郊外の平岸~真駒内間で高架になっています。しかし、雪害対策のためシェルターに覆われており、開放感はあまりありません。この高架区間の終わり、札幌市営地下鉄の最南端に位置する終着駅が真駒内駅です。
真駒内駅の東側は丘陵の斜面になっており、樹林が南北に連なっています。西側もバスロータリーと団地が広がり、札幌駅周辺の喧騒が嘘のようにのどかな光景です。
かつて真駒内駅は、札幌市街地から豊平川上流の温泉地・定山渓まで向かう「定山渓鉄道」の途中駅でした。地下鉄開業に先立つ1969(昭和44)年に廃止されましたが、かつての痕跡が今もいくつか残されています。豊平川をさかのぼるにつれ、平野から谷間へ風景が移り変わっていく、そんな場所に真駒内駅は位置しています。
「廃線マニア」にはたまらない駅も
最後に、駅の周辺は何もないものの、鉄道史において重要な位置を占める駅を紹介します。
蹴上駅(京都市営地下鉄東西線)
京都市役所前駅から東へ3駅先にある蹴上駅は、京都市東山区と山科区を隔てる「山脈」である東山を越える峠の麓に位置します。
京都盆地の最東端にあり、市街地から離れた峠道の途中にあるため、駅出口から地上に出ると周囲は急坂の三条通以外目立ったものがなく、閑散としています。
しかしすぐ北側には国宝や重要文化財を有する南禅寺の境内が広がります。他にも京都市動物園や高級ホテル「ウェスティン都ホテル」などがあり、1日の乗降客は約12000人を数えます。
蹴上インクラインの廃線跡。写真左奥の道路沿いに蹴上駅がある(乗りものニュース編集部撮影)。
また、駅東側には明治時代から戦後まで使用された「蹴上インクライン」の廃線跡が残ります。これは、琵琶湖と京都市内を結ぶ人工水路「琵琶湖疎水」の途中の高低差に対処するために設けられたものです。船はインクラインの台車に載せられ、上下流を行き来していました。現在もレールが残る廃線跡は、沿線に桜並木が続き、春には多くの花見客が訪れます。
なお1997(平成9)年に地下鉄東西線が開業するまで、三条京阪~御陵間は京阪京津線の一部でした。三条通を路面電車として走りながら、蹴上~御陵の峠越えでは66.7パーミルの急勾配を駆け上がっていました。この勾配は、同じく1997年に廃止された、JR信越本線の碓氷峠区間にも匹敵する国内有数の傾斜角です。また峠越えの途中には九条山・日ノ岡の2駅がありましたが、利用客があまりにも少ないということで、地下鉄に置き換わった際に駅は設けられませんでした。