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「東京」と書いて何と読む? 実はかつて「トウケイ」と読んだ時代があった

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明治天皇の大阪行幸

「東京」と書いて「トーキョー」「トウキョウ」と読むのは、現在では常識です。しかし明治時代からしばらくの間、どう読むのか決まりがなく、さまざまな呼び名が混在していた時期があったのをご存じでしょうか。

 毎年7月17日は「東京の日」です。1868(明治元)年のこの日に、江戸が東京府に改称したことを記念して制定されました。

 明治維新を経て、近代国家設立に向けて新政府による改革が始まりますが、このときに問題になったのは京都では公家の勢力が強く、思うように改革が進まないことでした。

 古い因習を断って改革を進めることは、新政府の急務です。1868年3月には、明治天皇が40日あまり大阪を行幸。本願寺津村別院を拠点に大阪の各地を回り、観艦式(かんかんしき。自国の艦隊の威容を観閲する儀式)なども行っています。

 このときの大阪行幸には、三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)を祭る内侍所(ないしどころ)が伴っています。内侍所は天皇の権威を示す上で重要であり、これを伴っていたということは、約40日は実質、大阪が日本の首都だったと言えます。

大阪遷都論から江戸遷都論へ

 この大阪行幸の目的は、大久保利通が提唱していた大阪遷都論でした。

「東京」と書いて何と読む?(画像:ULM編集部)

 京都の因習を断つ立地として、瀬戸内海に面した大阪は有望な土地と考えられていました。この行幸の前に、大久保は大阪遷都論の建白書を提出しています。

 しかし公家からの反発を呼び、ひとまず行幸という形で、明治天皇は大阪へと向かったというわけです。

 このとき大久保には、情勢によって大阪をそのまま首都にしてしまおうという腹があったのかもしれません。

 これに対して大久保に江戸への遷都を勧めたのが、後に日本の郵便事業を創立する前島密(ひそか)です。

 前島は江戸を首都にしなければ衰退してしまうこと、さらに日本の中央にあることなどを挙げて、江戸遷都論を進めます。大久保もこれに理解を示し、江戸城が無血開城したこともあり、江戸遷都論に傾くのです。

過去にいくつもあった「東京」

過去にいくつもあった「東京」

 こうして、江戸を東京へと改称する詔勅(しょうちょく。天皇が発する文書)が発せられ、明治天皇も東京へと移ります。

 ただし公家からの反発を恐れて、このとき、東京へ遷都する詔勅は出されませんでした。そのため、正確には「東京奠都(てんと。都を定めること)」という用語が使われます。なお現在の政府の見解は、

「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」(2018年)

といったものです。

現在の東京のイメージ(画像:いいいいいい)

 法令はともかくとして、実質、日本の首都になった東京ですが、詔勅には読み方が書いてありませんでした。東京とは文字通り、「東の都」という意味の言葉で、日本だけでなく漢字文化圏では長く用いられてきました。

 中国の王朝・後漢(25~220年)は、前漢(紀元前206~8年)の都だった長安から、東の洛陽に遷都したため、洛陽は東京とも呼ばれていました。この呼び名は隋(ずい)唐時代にも引き継がれています。

 またこれ以外にも、中国各地に東京という名前の都市がありました。

 朝鮮半島では、高麗(こうらい。918~1392年)の時代に現在の慶州が東京と呼称されていました。

 また15世紀にベトナムに成立した黎朝(れいちょう)では、現在のハノイを東京と呼んでいました。

「京」の読み方は「キョウ」「ケイ」

 東京はそんなありふれた地名なのですが、日本では「京」の読み方がふたつあります。呉音(ごおん)では「キョウ」、漢音では「ケイ」と読むのです。

 呉音は古くから日本に伝わっていた漢字の読み方、対して漢音は7世紀以降に日本に伝わった読み方とされます。

 中国では話していた地域が違う、いわば方言による音の違いなのですが、日本ではこれがごちゃまぜになったまま使われていきました。

 現代の中国語では、漢字の読みは基本的に一文字につきひとつだけ。それに対して日本で複数の読み方があるのは、こうした事情からです。

文学者間でも一致しなかった読み方

文学者間でも一致しなかった読み方

 漢字の読みも決まらないまま、江戸が東京に改称されたため、呼称は人それぞれになります。

 東京都公文書館(千代田区北の丸公園)のサイトでは、その事例をいくつか記しています。

「大江戸(おほえど)の。都(みやこ)もいつか東京(とうきやう)と」(坪内逍遙『当世書生気質』)

「今東京(とうけい)へ帰つてきて見ると」(仮名垣魯文『安愚楽鍋』)

 坪内逍遙と仮名垣魯文(かながき ろぶん)はどちらも教科書に載っている文学者ですが、そんな人たちの間でも読み方は一致していなかったのです。

 東京都公文書館は、「トウケイ」という読みを好んだのが、元から住んでいた江戸の人々であったとしています。

 キョウという発音には、上方の雰囲気が漂っているために、それを嫌う人たちは好んでトウケイと呼んだというわけです。

東京都公文書館(画像:(C)Google)

 さらに、漢字で書くときもトウケイは「東亰」と異体字を記載していた事例があります。
「東亰」という書き方は、小野不由美の伝奇小説『東亰異聞』(新潮社。1994年)で知られていますが、現実にも用いられていた事例があったわけです。

ほかにも「トキオ」という呼称も

ほかにも「トキオ」という呼称も

 さらに小木新造『東亰時代 ―江戸と東京の間で―』(日本放送出版協会。1980年)によると、東京を定める詔勅には「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」と記載されているといいます。

「江戸ヲ称シテ東京トセン」の詔書。岡部精一『東京奠都の真相』仁友社。1917年(画像:国立国会図書館デジタルコレクション)

 このことからも、東京へと地名を変更したのではなく、江戸を東の都とするのを「発表したこと」が、地名の変更として次第に定着していったのではないかとのことです。

 そのため、新政府も正確な呼び方を特に説明していなかったのです。

 このほか「トキオ」という呼称をする人もいたといいますが、多数派はあくまで「トーキョー」です。

 これが正式なものとなったのは、1903(明治36)年に国定教科書の制度が定められてからです。

 この年、文部省(当時)では小学校の教科書の検定制を廃し、全国一律の国定教科書の導入を始めます。

 このとき、教科書では「トーキョー」の読みが採用され、正式なものとして定着していったわけです。

 なお、日本は東京があるのに「なぜ西も南もないのか」と思うかも知れません。実はかつて、京都は東京に対して「西京」と呼ばれることがありました。

 戦前の小説などを読むと頻繁に使われる表現なのですが、次第に姿を消していき京都という呼称が定着しています。

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