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皇居を避けた? 半蔵門線の不自然な「Ω」ルートの真相 実はあった「皇居ぶち抜き地下鉄プラン」

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東京メトロ半蔵門線は永田町~大手町間で「Ω」のようなルートを取り、あたかも皇居を避けるかのような線形です。直線で、つまり最短ルートで両駅を結べばよさそうですが、そうならなかった理由は何でしょうか。

建設の順序では後発の半蔵門線

 永田町駅を発車後、半蔵門駅に向けて左にカーブしていく東京メトロ半蔵門線。このまままっすぐ大手町駅に行ってくれればいいのに――と思った人は多いのではないでしょうか。
 
 別駅ながら乗換駅に指定されている赤坂見附駅を含めれば5路線が乗り入れる永田町駅で、半蔵門線ホームはとりわけ深い地下36mに位置していることもあって、半蔵門線には様々な都市伝説があるそうです。

Large 240430 z 01東京メトロ半蔵門線の電車(伊藤真悟撮影)。

 曰く「半蔵門線は皇居の下を通過するために永田町駅を地下深くにつくったが、認められずに急カーブで迂回した」とか、「永田町駅の半蔵門線ホームと南北線ホームの空間には有事に備えたシェルターがあり、秘密トンネルで皇居と接続している」などなど。外から見ることのできない地下空間というのは想像力を掻き立てるのでしょう。

 これらは荒唐無稽なファンタジーだとしても、半蔵門線のルートに不自然さがあるのは事実です。どのような経緯で、こうした線形になったのでしょうか。

 地下鉄には路線名と別に計画時の番号が割り振られており、半蔵門線は11号線です。東京の地下鉄整備計画は1925(大正14)年の5路線に始まりますが、1962(昭和37)年に6号線から10号線までの5路線、1968(昭和43)年に11号線と12号線(後の大江戸線)、1972(昭和47)年に13号線(後の副都心線)が追加されました。

 半蔵門線(渋谷~青山一丁目)は1978(昭和53)年8月1日、9番目の地下鉄新線として開業しました。これより後に開業したのは都営新宿線、大江戸線、東京メトロ南北線、副都心線ですから、建設の順序を見ても、半蔵門線が後発だったことが分かるでしょう。

 順番にこだわるのは、これが地下鉄の性格を決定する大きな要因になるからです。

皇居西側は地下鉄空白地帯だった

 地下鉄というと都心のさまざまな地点を網羅している印象がありますが、最優先されるのはターミナル駅と都心のビジネスセンターの直結です。最初の5路線である銀座線、丸ノ内線、日比谷線、東西線、浅草線を見れば、渋谷、池袋、新宿、北千住、押上などと日本橋、銀座、大手町を直結していることが分かります。

 路線が皇居東側に集中しているのは、当時の都心がそのエリアに固まっていたためです。各方面のターミナルからこのエリアは、おおむね直線のルートを引くことができます。

 ただ、都市一極集中の問題は古くから認識されており、終戦直後の1946(昭和21)年に策定された戦災復興計画では、都市機能分散を促すため2号線(後の日比谷線)を皇居の西側経由に改めています(1956〈昭和31〉年の改定で現在のルートに再変更)。

 初期5路線は1960年代に完成しましたが、経済成長による利用者の増加で輸送力が不足していたため、1968年の計画改定でバイパス路線として5路線が追加されました。池袋から有楽町線、北千住から千代田線、新宿から新宿線、そして半蔵門線は、いうまでもなく銀座線のバイパスです。

Large 240430 z 02皇居周辺の地下鉄路線図(画像:写真AC)。

 輸送力増強ならば複々線化も選択肢ですが、用地買収などの観点から道路の直下にトンネルを建設していた当時、日本の道路幅では困難でした。そこで並行するルートを引きますが、新線の整備効果を最大限発揮させつつ、既存路線の利用者をバイパス路線に転移させるには、既存路線ユーザーの移動需要を満たしつつ、新規ユーザーの需要を開拓する必要がありました。

 例えば日比谷線と千代田線はJR線を挟んで南下しつつ日比谷駅で交差しますが、御茶ノ水や大手町などJR線西側への利便性を高めつつ、日比谷や霞ケ関方面の需要も満たすルートといえるでしょう。

 その中でも皇居西側を経由するのが有楽町線と半蔵門線です。丸ノ内線と有楽町線は皇居を南北に挟んで銀座(銀座一丁目)駅で交差。銀座線と半蔵門線は永田町(赤坂見附)駅を出ると、銀座線は皇居南側の虎ノ門や新橋といった官庁・ビジネス街を、半蔵門線は九段下や大手町を経由して三越前駅で交差します。バイパス路線としての機能を維持した上で、地下鉄空白地域だった皇居西側を埋めた形です。

戦前には「皇居下案」が存在した

 もうひとつ、後発路線の特徴が地下深くを走る点です。地下鉄に限らず、地下空間は浅い部分から活用され、新しい設備はより深くつくる必要があるため、銀座線、丸ノ内線、有楽町線をくぐる半蔵門線は自然と深くなるのです。

 また永田町付近を歩けばわかりますが、一帯は台地であり、半蔵門線は水平に走っているにもかかわらず、ホーム両端で地表からの深さは10m以上異なります。つまり永田町駅の深さ36mというのは、半分は見かけ上のものといえるでしょう。

 では、なぜ皇居の地下を地下鉄は走らないのでしょうか。もし半蔵門線が渋谷~大手町間を最短・最速で結ぶためにつくられる路線であったら、(可能かどうかは別にして)検討する価値はあったかもしれません。しかし先述の通り、渋谷から九段下、神保町方面への移動や、皇居西側の地下鉄整備も目的のひとつだった以上、駅をつくらないわけにはいきません。

Large 240430 z 03永田町駅の半蔵門線ホームは地下36mに位置し深い(大藤碩哉撮影)。

 さらにいえば過去、実際にそのような構想は存在しました。東京市が関東大震災後に立案した復興計画では、角筈(新宿)から東京駅を経由して平井新田(東陽町付近)まで途中、皇居の乾濠下を通る路線が記されています。

 この発想は合理的です。外濠に沿って迂回する現在のJR中央線に代わる路線なので、東京駅まで最短距離で結んだのでしょう。どのような工法を想定していたのかは不明ですが、当時主流の開削工法を用いるならば濠の水を抜いて、地上から掘り下げてトンネルを建設します。

 戦前に「宮城(皇居の当時の呼び方)」の地下を通るなんて畏れ多いことができたのか、と驚くかもしれませんが、大正デモクラシーという独特の時代背景によるものなのでしょうか。

 戦前に構想されたのであれば、現代で実現できない理由はないのですが、前記のように、地下鉄の役割を考えると、そのメリットがないから、というのが答えになりそうです。

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