「神田 = 神保町」ではない
世界最大ともいわれる古書店街・神田古書店街は、千代田区にある地下鉄神保町駅の周辺にあります。
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カレーの名店が多いグルメタウンとしても人気が高いそのエリアは、「神田」とも「神保町」とも呼ばれます。行政地名は主に千代田区神田神保町なので、どちらも間違いではありません(一部は千代田区西神田)。
ただし神田神保町を神田と呼称することは、しばし混乱を生むことがあります。
「神田駅で降りたら、神田古書店街は遠かった」というのは昔からの“神田古書店街あるある”です。神田駅と古書店街は1km以上離れており、街の雰囲気もまったく異なります。
そもそも、千代田区内には神田神保町以外にも頭に神田の付く町名が広域に渡り多数存在するので、「神保町 = 神田」であっても「神田 = 神保町」ではないのです。
頭に神田の付く町名は千代田区内に28個も
地下鉄とつくばエクスプレスの秋葉原駅は神田佐久間町にありますが、駅前のヨドバシカメラ マルチメディアAkibaがあるあたりは神田花岡町という町名です。地下鉄新御茶ノ水駅や、JR御茶ノ水駅があるのは神田駿河台で、JR水道橋駅の所在地は神田三崎町です。
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ほかには、
・神田相生町
・神田北乗物町
・神田西福田町
・神田紺屋町
など、「丁目」の設定がない極めて狭いエリアを示す町名も存在します。さらには、
・神田淡路町
・神田小川町
・神田錦町
などなど、頭に神田の付く町名は区内に実に28個もあります。
千代田区誕生で大量発生した「神田」
千代田区に「神田●●町」が急増したのは1947(昭和22)年のこと。この年、麹町区と神田区というふたつの区の合併により、千代田区が発足しました。
その際、旧・神田区にあった神田が付いていない各町名に、新たに神田がプラスされたのです。古書店街がある神保町も、千代田区の誕生とともに町名が神田神保町になったということです。
この決定の背景にはふたつの説があり、神田区という区名がなくなることを惜しむ住民の声が反映されたというのがそのひとつ。もうひとつは、麹町区と神田区の両方に平河町という町名が存在したため、差異化を図ったという説です。
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これと似たようなことは、他の区でもあります。旧・日本橋区と旧・京橋区が合併して生まれた現在の中央区は、発足時に旧・日本橋区だった町名に日本橋が付加されています。
1962年施行の法律で「神田」地名は激変
1947年に多数生まれた「神田●●町」はその後、一部が消滅しています。これは、1962(昭和37)年に施行された「住居表示に関する法律」が関係しています。
以前の日本では、住所の表示には町名(字名)と登記所が定める地番が使われていました。ところがそのシステムは、
・地番は配列が規則正しいものではない
・町の境目が必ずしも一致していない
・「●丁目●番地●号」の“号”が存在しない
などの理由で、郵便の配達はもちろん、市民生活や行政事務に何かと不便を生じさせるものでした。そこでこの問題を解決するための法律が生まれ、「住居表示」という新システムに変更されていきました。
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合理化が主目的ですから、新たに“号”が決められたほか、“丁目”“番地”や町名までもが変更になることがありました。旧・神田区でいえば、かつての神田末広町や神田金沢町などだった地域は、住居表示実施後に町名が外神田に変わっています。
「神田岩本町」「岩本町」なぜ共存
しかし、住居表示は一律に実施された訳でもなく、現在でも未実施の地域も少なくありません。
なかでも、千代田区は実施率が23区でもずばぬけて低く、特に旧・神田区だった地域ではごく一部のみにとどまっています。神田神保町も実施されていないため、例えば、三省堂書店 神保町本店の住所は「東京都千代田区神田神保町1丁目1」と“号”が付きません。
他方、千代田区では住居表示の実施に伴い、神田を削除する傾向があります。神田岩本町の一部は1965(昭和40)年に、神田鍛冶町の一部は1974年に住居表示が実施されたため、その地域のみ神田が付かない、岩本町、鍛治町になりました。
以後、千代田区内には、神田岩本町と岩本町、神田鍛冶町と鍛治町の両方が存在する状態になっています。またこの町名変更により、皮肉にもJR神田駅の住所が神田の付かない、プレーンな鍛治町になるという現象も起きています。
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一方、神田猿楽町、神田三崎町は、1960年代後期の住居表示実施に伴い、一度、神田が外されました。ところが、元に戻すことを望む住民運動もあり、2018年、約半世紀ぶり復活したという経緯があります。
現在も神田という地名に特別な愛着をもっている住民が多いようですし、神田神保町に限っても、むしろ神田をカットすることで生じる不都合がいろいろとありそうです。今後も、町名が変わることはないのかもしれません。