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「演歌 = 日本の心」は嘘だった? 歴史を辿って見えた意外な「真実」とは

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「演歌」は昭和40年代に成立

「演歌」と言えば、「日本の伝統」や「日本の心」といった言葉で形容される、まさに「日本」を表すものとしてイメージされています。

 歌番組などにおける演歌の存在感は現在後退していますが、「演歌の女王」である美空ひばりは戦後の日本人に大きな影響を与えました。

演歌歌手のイメージ(画像:写真AC)

 しかし、今回紹介する輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社)は、いきなり「美空ひばりは演歌歌手なのか?」という問いから始まります。

 美空ひばりは「ブギの女王」笠置シヅ子の曲のモノマネで人気を得て、「河童ブギウギ」でデビューしています。初期のヒット曲は「東京キッド」や「お祭りマンボ」であり、いずれもジャズやラテンの感覚が入っていました。

 美空ひばりが「柔」「悲しい酒」といった、典型的な「演歌」を歌うようになるのは昭和40年代以降であり、彼女のキャリアを「演歌歌手」として総括してしまうことには疑問が残るのです。

 本書はこの「演歌」について、

「現在の意味での「演歌」が昭和40年代にようやく成立した」(15ページ)

という、思い切った主張をしています。

「演歌」という言葉自体は、自由民権運動の流れをくむ「演説の歌」を意味するものとして使われていましたが(川上音二郎の「オッペケペー節」などが有名)、著者はこの明治・大正期の「演歌」と現在の「演歌」には連続性はないと見ています。

 昭和40年代に今まで忘れられていた「演歌」という言葉が、歌謡曲のひとつのジャンルを指し示す言葉として復活したと言うのです。

「演歌」と「艶歌」の違い

「演歌」と「艶歌」の違い

 なんとなく私たちは、日本的な音楽というものがまずあって、それが時代とともに欧米化してきたと考えがちですが、歌謡曲の世界ではそうとは言えません。

「演歌の王道」のように思われる古賀政男のメロディーも、戦前期は「ラテン風」「南欧風」と言われていました。

 また藤山一郎、淡谷のり子といった歌手たちは、いずれも音楽学校で西洋的な歌唱法を身につけた歌手であり、いわゆる「コブシ」や「唸(うな)り」といった演歌の歌唱法とは一線を画しています。

「股旅物」などの日本的な要素を含んだ楽曲もありましたが、戦前の歌謡曲の中心はあくまでも「モダン」なものだったのです。

 戦後の昭和30年代になると、春日八郎、三橋美智也、島倉千代子といった歌手が「田舎調」とも呼ばれる曲を歌います。これらの歌のテーマは、都会に出る者と田舎に残る者の感情的なつながりであり、高度成長期の地方から都市への人口移動を背景にしてヒットしました。

 この「田舎調」の曲で数々のヒット曲をつくったのが、栃木県出身の作曲家・船村徹と茨城県出身の作詞家・高野公男のコンビです。

 高野は船村に対して「おれは茨城弁で作詞する。おまえは栃木弁でそれを曲にしろ」(80ページ)と言ったそうですが、船村の曲はその「古臭さ」がかえって斬新なものとして評価されました。

 昭和30年代後半になると、エンカという言葉が使われ始めますが、それは「艶歌」という字をあてたもので、「演説の歌」であった「演歌」とは関係なく、色街やお座敷の「流し歌」を思い起こさせる曲にこの表現が使われました。

 これらの歌は、三味線流しで家計を支えたという経歴が言いはやされたこまどり姉妹に代表されるように、歌手の下積みや苦労がセットになっていました。

 典型的な「演歌歌手」のイメージがある北島三郎も「ギター流し」出身で、1970(昭和45)年に刊行された自伝のタイトルは『艶歌ひとすじ』です。

1964年発表、北島三郎「あばよ東京」(画像:日本クラウン、北島音楽事務所)

 オリンピック後の不況のなかで、哀調を帯びた俗っぽい「流しの歌」が主に「艶歌」という字で語られ、「ブーム」として演出されていきますが、この時点では、まだ「演歌(艶歌)」は「日本の心」といった存在ではありませんでした。

「演歌」人気の陰にいた超大物作家

「演歌」人気の陰にいた超大物作家

 著者は、「演歌」を日本の大衆芸能を代表する確固たるジャンルに押し上げた人物として、作家の五木寛之に注目しています。ここからはやや政治的な話も入ってくるのですが、この部分も本書の面白さです。

 戦後、進歩主義的な人びとは日本の大衆文化を「俗悪・頽廃」と否定しましたが、1960(昭和35)年の安保闘争で新左翼が台頭すると、むしろ、アウトロー的なものを好み、大衆文化を「土着的」「民衆的」「民族的」として評価する風潮が生まれます。

 既成左翼や進歩派が目指した「健康で明るい歌」が否定され、「疎外」や「性」をテーマにした歌謡曲が評価されるようになっていくのです。

 1965(昭和40)年にルポライターの竹中労によって書かれた『美空ひばり 民衆の心をうたって二十年』は、アメリカナイズされた戦後の日本社会の中で、日本の「民族音楽」の体現者として美空ひばりを位置づけたものでした。

 こうしたなかで、1966年にデビューした五木寛之が、小説「艶歌」などを通して、「エンカ」という概念を確立させていきます(五木は基本的に「艶歌」という言葉を使った)。

 小説「艶歌」は、レコード会社を舞台に古臭い「艶歌」を再評価する物語なのですが、ここで「艶歌」は「言うなれば日本人のブルース」(234ページ)とされ、「唸り」や「コブシ」といった歌唱法が、日本人の奥に隠された本質的なものとして評価されています。

 五木寛之は「怨歌」といった表現も使って、「艶歌」こそが日本の大衆音楽の「本道」であるという物語を創り上げたのです。

 この五木の「エンカ」論を体現したとも言えるのが、「演歌の星」・藤圭子です。

 現在では宇多田ヒカルの母親として有名かもしれませんが、藤圭子は1969年に「演歌の星を背負った宿命の少女!!」というキャッチコピーでデビューしました。

 その苦労に満ちた不幸な生い立ちが積極的に宣伝の材料として用いられ、ギターを抱えた薄幸の美少女として多くの雑誌の誌面を飾ることになります。新宿の飲み屋やレコード店をギターを片手に流しで回るというプロモーションも行われ、アングラ的な「暗さ」が強調されました。

藤圭子のファーストアルバム「新宿の女」(画像:ソニー・ミュージックダイレクト)

 藤圭子は、まさに五木寛之の描く「エンカ歌手」であり、五木も最初のLPについて、「彼女はこのレコード一枚を残しただけで、たとえ今後どんな風に生きて行こうと、もうそれで自分の人生を十分に生きたのだ。という気がした」(255ページ)と評価しています。

「演歌」発祥の地は東京?

「演歌」発祥の地は東京?

 五木寛之のお墨付きも得て、1970(昭和45)年には藤圭子ブームが起こります。『オリジナル・コンフィデンス』誌(のちのオリコン)において、シングル盤売り上げチャートでは3曲で18週連続1位、アルバムチャートでは3作で42週連続1位を記録したのです。

 藤圭子は過去の歌謡曲を積極的に歌っており、これが「演歌 = ナツメロ」というイメージを形成していくことにもなります。

 藤圭子がヒットチャートを独占していた1969~1971年にかけて、「エンカ」(「演歌」「艶歌」)という言葉が広く世間に広まります。1970年版『現代用語の基礎知識』には、「70年版増補語・日常語」として「演歌(艶歌)」の項目が立てられました。

 こうして、1960年代後半あたりから広まってきた、「エンカ(「演歌」「艶歌」)という言葉は、藤圭子ブームとともに完全に定着し、日本のひとつの音楽ジャンルを形成します。

 民謡や浪曲などの日本的な要素や、「流し」のアウトローなイメージなど、さまざまなものが新宿のアングラ文化と融合し、「藤圭子」というスターの登場をきっかけとして、「演歌」というジャンルになったというのが著者の評価なのです。

輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(画像:光文社)

「演歌」は、レコード会社の人びとや知識人によって「創られた」わけですが、強いて発祥の地をあげるなら、彼らが集まっていた「東京」と言えるのかもしれません。

 本書はさらに「演歌」のその後の展開や、「昭和歌謡」との関係などについても触れています。

 歌謡曲の歴史に詳しい人であれば、この紹介を読んで「あれが書いてない、これが書いてない」と感じたことだと思いますが、本書では、ここでは書ききれなかったさまざまなエピソードが紹介されています。

「演歌」という日本の「伝統」の意外な新しさを教えてくれる刺激的な本です。

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