もともと国有鉄道であるJRの駅名で、特定の人名に由来するものは珍しいケース。そのほとんどは私鉄由来の路線で、私鉄時代に名付けられたものですが、国有化時にあえて人名が付けられた駅が「津田山」です。異例の出来事の背景を探ります。
私鉄なら民間人名を駅名にしても頷けるが…
JRの前身は国有鉄道です。国有なので、通常その駅名に民間人の名を付けるのは避けていたはずです。しかしJRには、近代以降の民間人にちなんだ駅名がわずかながらあります。
有名なのが鶴見線の浅野、安善、武蔵白石、大川の各駅で、それぞれ浅野財閥の創始者 浅野総一郎(浅野駅)、安田財閥の創始者 安田善次郎(安善駅)、日本鋼管(現・JFEホールディングス)の初代社長 白石元治郎(武蔵白石駅)、富士製紙の社長になり、日本の製紙王とも呼ばれた大川平三郎(大川駅)にちなみます。
津田山駅に停車するJR南武線のE233系電車(2021年6月、内田宗治撮影)。
JR鶴見線の前身は鶴見臨港鉄道で、浅野総一郎はその親会社である東京湾埋立の会長でした。開業時は私鉄だったので、この路線にゆかりの財界人の名を付けることができたわけです。
鶴見線に関しては歴史をさかのぼれば納得するのですが、例外中の例外ともいえる駅がひとつあります。JR南武線の津田山駅(川崎市高津区)です。駅名は玉川電気鉄道の社長、津田興二(つだこうじ)にちなみます。
津田山駅は、南武線が私鉄(南武鉄道)だった時代の1941(昭和16)年2月に開業しました。鶴見線と同じように私鉄時代だったため、財界人の名を付けることができたと早合点しがちですが、そうではありません。私鉄として開業した当時の駅名は、駅前にあった工場の名を取って「日本ヒューム管前」でした。
特筆すべきは1944(昭和19)年4月、南武鉄道が国有化された時に、津田興二にちなんで「津田山」へ改称している点です。国有化の際、なぜか財界人に関係する駅名としているのです。この理由を解明するため、歴史を紐解いてみましょう。
津田が津田山を開発した理由
津田山は、駅北側の丘陵地の通称です。七面山と呼ばれていたのですが、津田がそこに住宅地を開発したことから津田山と呼ばれるようになりました。津田が自ら名付けたといわれます。
玉川電気鉄道では、1907(明治40)年に路面電車の形で渋谷~玉川(現・二子玉川)間が開通しました。現在は地下を東急田園都市線が走っている区間です。1927(昭和2)年には多摩川を渡り、溝ノ口(現・溝の口)まで延伸させています。東急への合併後も「玉電」として1969(昭和44)年の全線廃止まで親しまれた路線です。
開発された津田山の住宅地は、玉川電気鉄道の溝ノ口駅まで1kmほどで徒歩圏内。津田は、同鉄道の終点駅周辺を開発し、その住人が都心に通勤することで、同鉄道の乗客を増やそうとしたわけです。
津田は1909(明治42)年から1928(昭和3)年まで、玉川電気鉄道の専務取締役・社長を務めました。鉄道事業では世田谷線(現・東急世田谷線)、砧線(玉川~砧)、天現寺線(渋谷~天現寺橋、後の都電路線)、中目黒線(渋谷橋~中目黒、後の都電路線)と相次いで開通させるとともに、沿線への電力供給事業に加え、遊園地やプールの建設、多摩川への行楽客の誘致など、積極的に事業を展開しました。
玉川電気鉄道と同じ渋谷をターミナルとする私鉄が東京横浜電鉄(現・東急東横線)です。両社は渋谷駅前開発など様々な分野でライバル関係でした。先述の通り、玉川電気鉄道は家庭や工場への電気供給も行っていましたが、東京横浜電鉄が開発した一部の住宅地はその電気供給区域でもありました。両社様々な画策がありましたが、津田が退任した後の1938(昭和13)年、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併されてしまいます。
津田の功績は称賛に値するものだった?
東急電鉄の社史『東京急行電鉄50年史』では、同社が合併した池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道の旧経営者を、「消極的経営」「他力本願」「ほとんど無策」など容赦なく批判しているのですが、津田に対してだけはユニークな経営ぶりを賞賛し、敵ながらあっぱれという感じで評価しています。
旧駅舎時代の津田山駅の外観(2017年10月、内田宗治撮影)。
津田興二が立派だったため、南武鉄道が国有化される時、鉄道省の担当官僚がその功績を認めあえて津田山駅と改称した――もちろん断定はできませんが、こうした過去を振り返ると、例外中の例外の命名も、筆者(内田宗治:フリーライター)はなんだか納得できる気がしてきます。
ただ同線が国有化された時期は、太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどっており、駅名の慣例などにこだわるどころではなかったのかもしれません。工場が空襲の標的にされることが懸念されはじめた時期で、工場が近くにあることを示す駅名だったことが、駅名改称の最大の理由でしょう。同線の日本電気前駅も向河原駅(川崎市中原区)に、グラウンド前駅も武蔵小杉駅(同)へと改称されています。
津田山駅前にあった工場(現・日本ヒューム)は現在移転していて、その跡地は大規模スポーツ施設やスーパーマーケットなどになっています。駅北側の丘、津田山へと向かうにつれ閑静な住宅地が広がります。頂上近くには津田山公園があり、そこには津田興二の頌徳碑が建てられています。
津田山駅は2019年に北口、2020年に南口の橋上駅舎が完成し、装いも新たになりました。一見新しい駅に見えますが、歴史を知って津田山駅に降り立つと、また違った印象を抱くことでしょう。
