東京大空襲から80年がたちますが、今でも東京都内には、戦争の爪痕が残っています。東京大空襲を中心に、9つの貴重な戦争遺構を紹介します。
都内に残る空襲の爪痕
今年(2025年)3月10日は、悲惨な東京大空襲からちょうど80年目の節目に当たります。太平洋戦争終盤の1945(昭和20)年3月9日深夜から翌10日未明にかけて、米軍はB-29重爆撃機300機以上で、東京の下町地区を無差別爆撃しました。一面の焼け野原となり、一般市民の犠牲者は10万人に達すると見られます。
空襲の爪痕は、80年を過ぎた現在でも都内各所で大事に保存されています。今回はその中でも東京大空襲を中心に、貴重な戦争遺構9選を紹介します。
多くの訪日外国人も行き交う日本橋。この有名な橋にも東京大空襲の爪痕が残る(深川孝行撮影)
●1 五十稲荷神社の割れた手水鉢(千代田区神田小川町)
神田古本街のお膝元・神田小川町一帯も、東京大空襲でほぼ全焼し、五十稲荷神社も例外ではありませんでした。
石造りの手水鉢は辛うじて焼け残りましたが、焼夷弾内蔵のナパーム油脂(ガソリンとヤシ油の混合物)の火力は凄まじく、熱さで手水鉢が割れるほど。その割れた手水鉢は、今も神社の横に保存されています。
●2 鎌倉橋の機銃掃射痕(千代田区内神田~大手町)
神田と大手町の間を流れる日本橋川に架かる鎌倉橋の親柱と欄干にも、空襲の弾痕が30か所ほど残されています。
東京大空襲の前年、1944(昭和19)年11月29日深夜から翌30日早朝にかけて、米軍はB-29で神田・日本橋地区を空襲。橋の弾痕は、この時の機銃掃射だと伝わります。
ただ、この時期は日本軍の戦闘機や高射砲の迎撃を避け、高度1万m以上からの高高度爆撃だったため、B-29が装備する12.7mm機銃で橋の側面を狙い撃ちするのはほぼ不可能です。もしかしたら跳弾かもしれません。
橋が語り継ぐ歪みや焼け痕、貫通痕
●3 平河天満宮の鳥居の機銃掃射痕(千代田区平河町)
平河天満宮は最高裁判所や国立劇場の近くに鎮座する神社です。1844(弘化元)年に建てられた銅製の鳥居の柱木に、12.7mm機銃弾の痕が残っています。
弾痕の入射角や、弾痕同士が非常に近くて並んでいる点を考えると、東京大空襲より後の、小型機による低空からの機銃掃射かもしれません。
1945年3月後半に米軍が硫黄島を占領すると、長距離飛行できる米陸軍のP51マスタング戦闘機が、日本本土上空で活動を始めます。同じく終戦末期に日本周辺の制空権・制海権を握ったアメリカは、本土近海に空母を差し向け、F6Fヘルキャット戦闘機、F4Uコルセア戦闘機など、艦上機による空襲も活発化させています。
●4 日本橋の焼夷弾痕(中央区)
日本橋の石造りの欄干と親柱にも、東京大空襲のM69焼夷弾による焦げ痕がいくつも見られます。
M69は全長約50cm、直径8cm弱、重量約2.7kgの六角柱型をした鋼鉄製爆弾です。着地の衝撃で内蔵のナパーム油脂が引火しながら飛び散る仕組みで、焦げ痕はこれによるもののようです。花崗岩の橋の路面には、M69の着弾でできた穴もいくつも発見できます。
●5 永代橋の上部構造の歪み(中央区・江東区)
震災復興橋梁として1926(大正15)年に完成した永代橋も、戦災からは逃れられなかった(深川孝行撮影)
隅田川に架かる永代橋のほぼ真ん中、上部アーチ構造の鋼鉄製フレームをよく見ると、東京大空襲で投下されたM69が直撃し、大きく凹んだ部分が確認できます。
●6 旧松永橋(江東区佐賀~福住)
大島川西支川に架かる松永橋は、1996(平成8)年に架け替えられたものですが、先代の旧松永橋は、1929(昭和4)年竣工の「震災復興橋梁」で、鋼材を三角形に組んだワーレントラス橋でした。
その鋼材部には、米軍機が搭載する12.7mm機銃の掃射で開けられた貫通痕が数か所ありました。現在その一部は保存され、松永橋の東詰北側にオブジェとして飾られています。
浅草寺境内にも残る空襲の爪痕
●7 言問橋の親柱の焼け痕(台東区・墨田区)
隅田川を渡る言問(こととい)橋も、東京大空襲で被災し、対岸へ逃れようとした市民が多数焼け死んだり、熱さのあまり川に飛び込み溺死したりしています。
石造りの親橋には、焼夷弾による黒焦げ痕が当時のまま残されています。また、橋の西詰(台東区側)の隅田公園には、1992(平成4)年の橋改修の時に取り外された欄干の基部にあった、黒く焦げた縁石の一部が、慰霊碑とともに保存されています。
●8 浅草寺境内の戦災いちょうの焼け痕(台東区)
浅草寺の境内の西側に、樹齢800年余のご神木・大いちょうがそびえています。
東京大空襲で浅草一帯は焼失し、本堂も焼け落ちました。ご神木も無傷では済まず、根元に焼夷弾が直撃し、樹木の上半分は焼け落ち、幹の内部も焼け焦げて空洞となりました。
ただし、ご神木の生命力は絶大で、現在も焼け焦げた空洞を抱きながら、枝葉を伸ばしています。
●9 焼け残った木製の電柱(台東区三筋)
台東区三筋一丁目の住宅地の四つ角に、大半が焼け落ち、下の部分だけを残した木製の電柱が佇みます。
東京大空襲で台東区の大部分が灰となりますが、惨状を後世に伝えようと、地元の保存会が電柱を守り続けています。実はこれ、忠実なレプリカで、実物は江戸東京博物館(墨田区)で大切に保存されています。
改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。