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02年、中村俊輔。世界最高級のFKが残した爪痕。稀代のトップ下が批判から称賛に変わるまで【セリエA日本人選手の記憶(4)】

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中村俊輔【写真:Getty Images】

中村俊輔【写真:Getty Images】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。90年代、そのスタートとなったのがセリエAへの移籍だった。三浦知良や中田英寿など日本を代表する選手たちが数多くプレーしたイタリアの地。しかし、現在セリエAでプレーする日本人選手はゼロ。この機会にこれまでの日本人選手のセリエAでの挑戦を振り返る。第4回はMF中村俊輔。(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

今なおイタリアで記憶されるFK

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。90年代、そのスタートとなったのがセリエAへの移籍だった。三浦知良や中田英寿など日本を代表する選手たちが数多くプレーしたイタリアの地。しかし、現在セリエAでプレーする日本人選手はゼロ。この機会にこれまでの日本人選手のセリエAでの挑戦を振り返る。第4回はMF中村俊輔。(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

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「昔、友達と一緒にサッカーをした時、左足のフリーキックでゴールを決める友達の一人が“ナカムラ”って言ったんだよ。凄くフリーキックの上手い選手なんだよね。それから試合でFKでゴールを決めるたびに、『ナカムラ、ナカムラ』と声がするようになった」

 2017年、セリエA公式ユーチューブチャンネルのインタビューで、アタランタのMFヨシップ・イリチッチが中村俊輔のFKについて語っていた。彼自身も、左足のプレースキックを得意とする攻撃的MF。蹴り方を参考にしていたのだという。

 2002年から3シーズンに渡ってレッジーナに所属し、セリエAを戦った。プレースキッカーを任され、PKやFKなどで得点を重ねて移籍初年で7ゴール。とりわけ第31節、ホームのローマ戦での1点は左寄りの位置から左足でゴール右上隅を捉えた非常に高度なものだった。

 そのプレースキックの正確さは今もなお、イタリアのファンの記憶に残っている。中田英寿、名波浩に続き3人目のミッドフィルダーとしてやってきたレフティーは、この国で確かに爪痕を残していたのだ。

 一方で中村俊は、自らのプレースタイルをセリエAの現実に噛み合わせていくことについて苦労を強いられた選手でもあった。

 周知の通り、彼はプレースキックだけの選手ではない。左足の卓越した技術を駆使し、ボールを支配下に置きながら、長短の正確なパスを駆使して試合の流れをコントロールする。ボールを相手に譲らないことで、攻撃のチャンスを増やし守備のリスクを減らす。

 トップ下の位置を拠点に多くボールに触って、チームのボールポゼッションを演出しつつチャンスを創出することを真骨頂とする。

セリエAは相性の悪いリーグ

 しかしそういう選手にとって、セリエAは相性の悪いリーグだった。これまでの連載でも書かせていただいた通り、それは中田や名波にも共通したこと。それに加え中村俊輔の場合には、所属したところが典型的なイタリアの地方クラブ。つまりクラブもそれを取り巻くファンやメディアも、守備的なリアクションサッカーを是とする環境だったのである。

 基本的にボールポゼッションは相手がするもので、自分たちは自陣を固めてカウンター狙い。中盤の選手が足元にボールを欲する一方、最後尾のディフェンダーは奪ったらとにかくボールを前に蹴り出すことが正当化される。攻撃も少数で行い、屈強なセンターフォワードか、一人でボールを持ち込んでシュートまで行けるタイプの“ファンタジスタ”が必要とされた。

 ドリブルで深い位置から縦に駆け上がることのできる中田ならいざ知らず、中村俊の場合はトップ下のプレーゾーンでボールをもらうことを必要とする。だが足元をめがけたパスが繋がらないばかりか、ボールは頭上を越える。ボルトロ・ムッティ監督が解任されたのちその傾向は強くなり、「上手いがセリエAでは合わない選手だ」という評価も付くようになった。

「中田は色々なポジションが出来て、どんな要求にも文句をいわず黙ってこなしていた。一方中村は中央でプレーするトップ下だった。もちろん二人とも素晴らしい選手で、中村のFKの精度は凄かったけどね」

 パルマで中田、レッジーナで中村俊とチームメイトだったエミリアーノ・ボナッツォーリに以前話を聞くと、そんな答えが返ってきた。

 一方でレッジョ・カラブリアの地元メディアやファンの中には、批判的な向きもあった。オレステ・グラニッロに行って華麗なプレーやフリーキックを見て喜ぶファンもいた一方、一人で持ち込んでシュートまで行ける「東洋のバッジョ」という言葉さながらの活躍を求める向きもあった。特に故障にも苦しんだ2年目には、ゴールがないことに対する批判も多くなっていた。

 しかし中村俊輔のセリエA挑戦は、ただ不遇で終わったわけではなかった。3年目の2004/2005シーズンには、ある優秀な監督との邂逅を果たす。これによって彼は、トップ下としての本来のプレーを展開し、チームの好成績に貢献することができたのだ。

トップ下・中村俊輔を輝かせたのちの名将

 その監督は、のちにナポリやインテルを率いることになるワルテル・マッツァーリ(現トリノ)。当時はまだ青年監督の部類で、リボルノを1年でセリエAに昇格させた手腕が評価され、レッジーナに引き抜かれた。その彼は、普通のイタリア人監督とは違うマインドを持っていた。

「FWがボールをもらいに下がって来ても怒らないし、逆にDFが大きく蹴りだすと注意される。この人は今までの監督とは違う」

 新監督の就任当初、中村俊はそんな話をしていた。実際マッツァーリは弱小クラブであっても、後ろから正確にパスを組み立て戦術的に勝ちに行くサッカーを展開しようとする気骨の持ち主だった。そしてこれは、中村俊にとっても良いことだった。

 基本は3バック。その3枚のDFには単純な守備力だけでなく、パスをつなぐ能力と規律を求める。そして練習では、精密に守備のプレスやカバーリングのメカニズムを教えた上で、11対0でのフォーメーション練習を通しビルドアップのパターンをいくつも反復させる。必ずそこには、中盤の選手を経由しなければならないことになっている。

 そんな戦術の中で、マッツァーリ監督は中村俊を「チームのボールポゼッションを高める上で重要な存在」として考えたのだ。

 開幕前は3-5-2のインサイドMFとして試していたが、やがてボナッツォーリを1トップした上でジュセッペ・コルッチと2シャドーを組ませる形に落ち着いた。いずれにせよ、プレーゾーンは本来のトップ下だ。「このゾーンでやらせることが彼には一番合っている」と看破したのである。

 シーズンが始まると中村俊にはノーゴールが続き、ゴールを求める地元メディアからの批判はそれなりに厳しかった。しかしマッツァーリ監督は、頑として考えを曲げなかった。ゴールという結果はさておき、中村俊は本来のプレーゾーンで安定したパフォーマンスを披露。正確にパスを回して、ボールも簡単に失わない様子は、指揮官の評価にかなった。

 そして地力をつけたレッジーナは、予想外の結果をだしていくようになった。とりわけ、彼らは大物食いを度々起こしたのだ。

黄金時代の肖像画に。中村俊輔が残した足跡

 あのズラタン・イブラヒモビッチを擁し、開幕から8勝1分と圧倒的な強さを見せていたユベントスにシーズン初めて土を付ける。さらに前半戦にはローマも破り、インテルとも引き分けた。またレッジーナがこれまで苦手としていたアウェー戦でも、勝ち点3を拾えるようにチームは成長していった。

「攻めて、って感じじゃないけど、我慢して守ってると相手がだんだん焦れて嫌になる。そういう戦い方がハマった」

 チームが好調の際、中村俊はそんな談話を残していたことがある。バランスの良い守備組織で攻撃を受けた後、攻撃に切り替える際は丁寧にボールを繋いで攻める。そういう戦術を構成するために、彼は持ち味を発揮した。

 守備では的確に味方のカバーリングをしながら、良く動いてパスを貰い、クロスにスルーパスにと攻撃の軸としてボールを散らす。気のきいたポジショニングと個人技でうまく時間を使い、「相手を焦らす」戦略の中心人物となっていた。

 結局、レッジーナはクラブ史上最高成績となる勝ち点を積み上げて残留に成功。中村俊も故障しない限りは常に主力として重用され、33試合に出場した。

 のちにマッツァーリ監督に話をきくと、「中村をトップ下にあてがったのは成功だった。彼がセルティック移籍後活躍したが、私があてがった通りのプレーエリアでやらせているんだよ」と自画自賛していた。セリエA最後の1年でトップ下として味のあるプレーを見せた上で、中村俊はスコットランドへと送り出されたのである。

 中村俊輔がいた前後は、レッジーナというクラブにとっても黄金期だった。2006/2007シーズンには勝ち点マイナス15(途中で11に軽減)というとてつもないペナルティを課せられながら、奇跡のA残留も果たしている。こうした活況ののち、ホームのオレステ・グラニッロには歴代の選手の肖像画が内部の壁面に描かれた。その中には、中村俊の絵もあった。輝かしい時代を飾った一人として記憶されていたのだ。

 なおレッジーナは、その後様々な紆余曲折を経験した。2009年にセリエBに、14年には3部に降格。その翌年には経営破綻に陥り、サンタ・アガタの練習場も一度抵当に出されるという目にまであった。

 現在はこの地にルーツのあるローマ人投資家ルカ・ガッロ新会長のもとで少しずつ経営を立て直し、セリエC(第3部)からの再興を狙っている。

(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

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