7月7日は「そうめんの日」。1982年に全国乾麺協同組合連合会が制定した記念日です。ここ数年、全国的な猛暑が続く日本列島ですが、気温が高い日に、冷たいめんつゆで頂く「そうめん」は日本の夏の風物詩ともいえます。いまや、夏のお昼ご飯の定番メニューとなっているそうめんですが、その由来は意外なところにありました。今回は、知る人ぞ知る「そうめんの歴史」についてご紹介します。
そうめんは「高級食材」だった
高温多湿な夏の気候にぴったりで、日本の麺料理というイメージが強いそうめんですが、もともとの起源は中国から伝わった「索餅(さくへい・さくべい)」と呼ばれていたお菓子。現在も長崎県に伝わる郷土菓子「麻花兒(マファール)」に似たものであったといわれています。
唐菓子である索餅が日本に伝来したのは、奈良時代とのこと。平安時代から鎌倉時代にかけての文献には、「索麺(サクメン)」の語が散見されます。索餅と索麺のつながりについては諸説あり、定かではありません。しかし、「『さくめん』がなまって『そうめん』になった」「『索』に似た『素』の字が使われるようになった」など、室町時代の記録にある「素麺」の起源は索麺なのではないかと推測されています。
伝来した奈良時代当時の索餅は、貴族しか食べられないほどの高級品。室町時代のそうめんは温かい「にゅうめん」として、冬に宮廷で供されていたそうです。
そうめんを一般庶民が口にできるようになったのは、江戸時代のこと。水力を動力とした製粉機の誕生をきっかけにそうめんづくりが盛んになり、日本中に広まりました。江戸時代のそうめんは、結婚式の際に出されていたといわれています。庶民が口にできるようになったものの、依然として高級食材でした。
中国にも、健康を祈願して旧暦の7月7日に索餅を食べる習慣があったそうです。また、平安時代の文献によると、宮中の七夕の儀式に索餅が供えられたとのこと。これらにちなんで、日本では七夕の夕食にそうめんを食べる風習があり、全国乾麺協同組合連合会は7月7日を「そうめんの日」と制定しました。
元は中国から伝来した唐菓子で、宮廷料理や婚礼料理として発展してきたそうめん。庶民の夏のお昼の定番メニューの裏には、意外なルーツがありました。歴史や由来に思いを馳せれば、そうめんをいっそうおいしく感じることができるかもしれませんね。
オトナンサー編集部