標高と地名で地図を色分け、見えてくるものとは
<地名の多くは、昔の人が特徴や目印としてその土地を呼んだ言葉が、代々受け継がれてきたものです。>
これは国交省・国土地理院のウェブサイトに掲載されているコラムの一節です(コラム「地名と水害 土地のもつ性質と手がかり」より)。
とりわけ2011年3月11日の東日本大震災以降、土地と地名、さらに災害などとの関係にまつわる知見は、広く一般に知られるようになりました。
10m未満地帯と「貝塚」で検索すると……
この視点をより具体的な事例から学ぶことのできる画像がツイッター上にアップされ、大きな反響を呼んでいます。
投稿したのは、大手大学受験予備校の代々木ゼミナール(渋谷区代々木)地理講師で、『経済は地理から学べ!』(ダイヤモンド社)などの自著がある宮路秀作さん(@miyajiman0621)。
国土地理院の地理院地図で標高10m未満のエリアを黒色で表示し、さらに「貝塚」と地名検索してヒットした箇所にフラッグマークを重ね置きした画像です。
貝塚とはご存じの通り、先史時代の海岸・湖岸近くに暮らしていた人々が、捕食した貝の貝殻を一定の場所に捨てたものが堆積し、後に発見されたもの。
投稿された画像の地図上では「貝塚」の地名を表す水色のフラッグが黒色のエリアを取り囲むように点在していることが見て取れます。
浮かび上がるのは、かつての海岸線
ずばり、この地図から読み取れることとは? 宮路さんに解説をお願いしたところ、
「かつての『海岸線』の位置が分かります。かつて現在よりも地球が温暖だった頃は海水準が高かったため、貝塚の位置からそのときの海岸線の様子を探ろうと考えて地図を作ってみたものです」
と教えてくれました。
10m未満エリアを取り囲むように「貝塚」という地名が点在している点について、
「実際には地名の一部に『貝塚』を含む場所にフラッグが立っているもので、貝塚遺跡そのものの場所を表したものではありません。しかし地名に入れるほどですから、貝塚遺跡が存在する場所の一部だろうと考えられます」。
「貝塚は海岸線沿いに位置しているはずなので、黒く塗られた場所(10m未満)に沿ってフラッグが見られるということは、そこがかつての海岸線だったと考えられるわけです」
なるほど、まさに現代に残る地名から過去の土地の特徴・地形を推測できる、ひとつの好例と言えそうです。
「地名は生きている」「津波が来たら……」
この投稿を見たユーザーたちからは、計1.3万件もの いいね とともに、
「貝塚の位置が見事に一致していますね!」
「めちゃくちゃ分かりやすい」
「実際に見つかった貝塚ではなく、地名からもこれだけハッキリ分かるのはすごい」
「地名は生きている」
といった反応が多数寄せられました。
なかでも東京23区在住のユーザーたちが注目したのは、自身が住んでいる街の標高について。
江東区や品川区など、いくつもの区が黒色のエリアに“水没”していることから、
「海面が10m上昇したら、黒い部分は浸水してしまうということか」
「標高10m未満にすると江戸川区が消えるのが恐ろしい」
「私の住んでるところ真っ黒なので津波が来たら死ぬかも……」。
そんな戦々恐々としたリプライ(返信)がいくつも見られます。
現代の地図に浮かび上がる1万年前の世界
少し視点を変えるだけで、全く違うものが見えてくる地理の世界。代ゼミ講師の宮路さんに、あらためて地理を学ぶ意味や楽しさについて尋ねてみました。
いわく、
「いろいろな視点を持つことで、多角的に物事を考察することができます。そのひとつが地理なのであって、地理を学べば、またひとつ物の見方が増えます」。
「そして地理を学ぶことは現代世界そのものを学ぶことでもあるので、今を知ることで、より過去を知りたくなり、過去を知ることで未来を考えたくなります。ぜひとも地理を学んで、今自分たちが生きている世界の様子を知ってほしいです」
と、熱いメッセージをくれました。
現代の地図の上に浮かび上がる、およそ1万年も前の海岸線。地理のみならず学びのダイナミクスそのものを感じさせられる、驚きと発見のツイッター投稿なのでした。