台湾中部の最大都市「台中」。その玄関口である台中駅では、2016年に完了した高架化以前の駅舎や構造物の一部が、現在でも遺されています。その根底にあるのは「モノを大切にする」という考えだけではないようです。
旧駅のプラットフォーム、線路、列車を全て再利用し文化園に
台湾第二の都市で、中部最大の都市・台中。その中心にあるのが台湾鉄路・台中駅です。
台湾鉄路そのものが、日本統治時代に開拓された南北縦貫鉄道を基礎とするのと同様、この台中駅もまた日本人が建設したものです。
台中駅が完成したのは、日本の台湾統治が始まってから10年後にあたる1905(明治38)年。さらにその12年後の1917(大正6)年には、赤レンガ造りの東京駅を建築した辰野金吾風に倣った2代目駅舎が完成し、現在ではこの旧駅舎が固定古跡に指定され遺されています。
駅そのものは、2016(平成28)年に高架化工事が完了し、高架の3代目駅舎へと生まれ変わりました。そんな台中駅に今年、約10年ぶりに再訪し、近代化された高架駅にも感動しましたが、驚いたのが高架駅の真下に遺る「旧駅の再利用」の様子です。
台湾・台中駅の現在の様子。高架化された後も旧駅のプラットフォーム、線路、車両を遺し続ける台湾・台中駅の様子(2024年、松田義人撮影)。
改めて「台中駅鉄道文化園区」となった旧駅の一部は、プラットフォームの一部を改装し散策道になりました。また、旧線路の上にはベンチが設置され、若者たちの憩いのスポットとなっています。さらに、長らく台湾鉄路で採用された旧ディーゼル車両・DR2700(日本の東急車両製造が製造)も、一部車両が遺されています。内部は小さなショッピングモールとなり、買い物を楽しむ人が大勢いました。
しかし、この「台中駅鉄道文化園区」、噂には聞いていたものの、実際に見るとなかなかのインパクトです。
筆者(松田義人:ライター・編集者)は個人的に、台湾人は「モノを大切にする」傾向があると思っており、廃材を使ったアート作品の例は枚挙にいとまがありません。また、街中でもペットボトル、古タイヤ、段ボールなどを再利用し、別の物に転じているケースをよく目にします。
しかし、この台中旧駅を残し再利用する様子は、何も節約とかSDGs的なものではなく、長らく台中の発展を支えてきた旧駅への思いや、日本への思い、「必ず後世へと伝え続けたい」という強い思いを感じるのでした。
北ぁのぉぉぉ 酒場通りにはぁぁぁ♪ が聴こえてきた!?
特にそう感じさせるのが、旧駅への「日本風デコレーション」です。桜を模したモニュメントが柱に掲げられ、旧プラットフォームには紅白幕や神社風の映えスポットも。また、BGMに『北酒場』などの日本の演歌を流す商店もあります。台湾にいるのに日本にいるような、でも、やっぱり明らかに何かが違うような不思議な感覚になります。
しかし、台湾人が長らく親しんだ旧駅、そしてこの旧駅を開拓した日本を大切に思ってくれることだけは強く感じることができます。これがとてもありがたく、同時に頭が下がる思いを抱きます。
日本の神社を模した映えスポット。筆者来訪時は、ここで写真を撮ろうとする人で数名の行列が(2024年、松田義人撮影)。
前述の旧線路に設置されたベンチに佇むカップルや若者たちが、どんな思いでくつろいでいるかは分かりませんが、こういった台湾および台湾人からの思いに対し、私たち日本人はどんな態度をとるべきでしょうか。来年2025年は日本が戦争に敗れ、台湾から撤退してから80年の節目。さらに友情を深めていきたいと筆者は思いました。
「台中駅鉄道文化園区」の旧駅から新駅をつなぐ場所には「鐡鹿大街」というグルメスポットもあります。新幹線にあたる高鐡の台中駅からは少し離れていますが(接続駅である新烏日駅から在来線で3駅)、ぜひ台鉄の台中駅まで足を伸ばし、旧駅と新駅を散策してみてはいかがでしょうか。